CLONE04
一 人は何のために生まれてくるのだろう。 何のために生きているのだろう。 私には分からない。 私はただの道具だから。 リンスゥは一人、高い壁の上にたたずんでいた。 喧しく騒がしい夜の街から少し離れた、静まり返った再開発予定地区。狭い入り組んだ街路と古い建物がひしめいている。 再開発の名目で住人が立ち退いてから随分立つ。ただその間、荒れ果てるに任せた街並み。剥がれかけたコンクリート。生い茂る雑草。街灯の明かりも少なく、そこかしこに深い闇が潜む。 ここを住処にする野良猫が、見慣れぬ闖入者に警戒の視線を送っていた。 遅くに上り始めた欠けた月が、ようやく頭上へと差し掛かろうとしていた。その冷たい光が彼女の姿を浮かび上がらせる。 二十歳前後と思われる、まだどこか少女の面影を残す、整った顔立ち。 闇夜に溶ける濃紺の衣服は身体にぴたりと密着し、すらりと伸びる肢体を包んでいる。 風がそよぎ、彼女のうなじにかかる短い髪がさらりと揺らいだ。 遠くから微かな銃声が散発的に響く。パトロールビークルのサイレンがいくつも重なる。 暗い道の奥を眺めていると、二つの人影が息を荒げ、走ってきた。 「くそ! あいつら今日襲ってくるなんて……」 「どうするよ、仲間はみんな散り散りで……」 「とにかく逃げるのが先だ! 見てろ、いつかぶっ殺して……」 人相の悪い男二人組。手には銃を持っていて、その筋の者だと一目で分かる。どうやらどこかで抗争があり、そこから逃げてきたようだ。 男達は壁の上の人影に気付かない。そのまま通り抜けようとしていた。 その時リンスゥが動いた。 それは一瞬の出来事だった。 前を走る男の背後に、音も無く降り立つリンスゥ。 首から飛び散る血飛沫。 返り血がリンスゥの頬に跳ねる。 男の身体から力が抜け、膝から崩れ落ちる。いつの間にかリンスゥの手にはナイフが握られていた。肉厚のサバイバルナイフ。刀身は長く、くねっている。 その刃にべっとりと、今付いたばかりの鮮血が滴る。 「何だ……!」 もう一人の男が銃を構える。その手首に一閃。 骨まで斬られた手首は、銃の重さで傾ぎ、傷口を開いた。赤い液体が、間歇的に噴き出す。 胸倉を掴む。壁に押し付ける。喉元へナイフを押し当てる。 流れるような一連の動作。その間リンスゥは顔色一つ変えない。 「うあ……」 首筋に冷たいナイフの刃を感じ、男は怯えた。 「あ……」 男の目をリンスゥじっと見つめた。 死を目前にし、その瞳には様々な感情が表れる。 恐怖、焦燥、絶望。 そして渇望。 ……なにを求めて? 「おい!」 道の向こうから女が声を掛けた。二人の男を追ってきたようだ。 リンスゥと同じ顔をしていた。 「何をしている! 早くやれ!」 「ひいいっ!」 その言葉に弾かれるように、男はリンスゥの手を払い、走り出した。 その瞬間、リンスゥはナイフを左手に持ち替え、素早く振り向いた。 鋭く空を切り裂く音。月明かりに煌く冷たい金属の輝き。男の首筋が大きく裂け、頚動脈から鮮血が噴き出した。 そのまま二、三歩足を進めると、ゆっくりと崩れ落ち、地に伏せる。 「く……は……」 一つ喘ぐようにして、息絶えた。 自らがその命を絶った男を見下ろすリンスゥ。その表情は変わらぬまま。 悲哀も憐れみも、何一つその瞳には浮かんでいなかった。 「通報が入ったようだ。引き上げるぞ」 声を掛けられ、リンスゥは振り返る。遠く響いていたパトロールビークルのサイレンが、こちらに向かってい少しずつ大きくなっている。 頷いてその場から離れ、夜の闇へと消えていった。 その場にはまだ温かい二つの死体と、闖入者の騒動を静かに眺めていた野良猫だけが残された。 もう深夜だというのに人通りは絶えない。千鳥足の男。すがり付く女。甲高い嬌声が響く。 混沌とした夜の街。所狭しと中空に輝くホログラムの看板が、辺り構わず光を撒き散らし、その印象を殊更に強くしている。 動画広告の美女が一斉に微笑む。深いスリットの入った赤いドレスから、艶かしい脚を覗かせる。その肌に彫られた文字列が、剥がれるようにしてめくれ上がると、店の名が大きく映し出された。 極彩色の光と、それに縁取られた影。まさにこの街を表している。 そんな歓楽街の中のそのビルは、周りの乱立する中層階の雑居ビルと同じように、テナントを構えていると見せていた。 しかし実態は、裏社会に棲む組織、ジンロン会の拠点。一階の店舗、上に上がる階段、そういった要所には周りの享楽に溺れる者とは明らかに異質な目付きの男達が配置されていて、辺りに目を配っていた。 上層階の居住区画の通路は、外の明滅するホログラムの光に照らされていた。先ほど仕事を終えた二人が戻ってきていた。 「さっきはどうかしたのか?」 「え?」 声を掛けられたリンスゥが振り向く。 「何をぼんやりしていた? 命令は敵構成員の殲滅だった。取り逃がす所だったぞ」 じっと見つめるリンスゥ。返事はない。 「?」 「いや……別に……」 ようやく一言呟き、言葉を継いだ。 「なんでもない。それに、あの前に手首の腱と一緒に動脈を斬っていた。どちらにしろ、そう長くはなかった。問題ない」 先の扉を指して尋ねる。 「先にシャワーを浴びても?」 「ああ」 怪訝そうな同僚の視線を気にせず、扉の奥へと消えた。 脱衣所で赤黒く固まった返り血のついた服を脱ぎ、シャワー室へ入る。栓を捻って温水を出す。手や顔に付いた血を落としていく。 濃紺の衣服に包まれていた時には細く引き締まって見えた身体は、柔らかく滑らかな曲面を描いていた。ふっくらとしてなお張りのある肌を、湯が伝い水滴となって滴る。 リンスゥはシャワーヘッドを見上げ、頭からお湯を浴びながら、ぼんやりと考えた。 私はクローンだ。 元となる遺伝子に手を加え、特定の用途に向けて能力を強化された個体群……金で売買され、国籍を持たず、公には存在を認められていない。 しかし私達のシリーズは人気で、多様な用途向けに開発が成されており、街を歩けば時折、鏡でも見るように同じ顔に遭遇する……。 栓を閉じて、シャワー室から出る。洗面台の鏡に、自分の姿が映っていた。 じっと自分の顔を見つめる。 よく見かける、自分であり他人であるその顔を。 「リンスゥの様子がおかしい?」 その階下、オフィスの一室で、組織の首領フェイと幹部クァンが話し合っていた。 二人は幼い頃からの付き合いだ。この混濁とした街でのし上がろうと誓い合った仲。首領と幹部という肩書きはあるが、今でも近しい。年上で悪知恵の働くフェイをクァンは立て、実行力があるクァンをフェイは頼っている。 今、今日の襲撃の結果をクァンが報告している所。ジンロン会の虎の子のクローンの一人、リンスゥの不調が話題となっていた。 「ああ、普段の様子は変わらないし、数値におかしい所もないんだが、最近決断が鈍る場面が増えた。今日もあったそうだぜ」 「ふむ」 フェイは葉巻をくわえ、その太った顎を擦りながら、しばし考え込んだ。突然思い付いたように問い質す。 「まさか人並みに、仕事したくないとか言い出すんじゃないだろうな!」 「さあな」 クァンは肩をすくめて答えた。フェイは近くの長椅子に勢い良く腰を落とす。その体重で長椅子は軋んだ。 「あの個体は能力高くて、結構当りだと思ったんだがなあ。あのシリーズは安定していると評判だったのに」 「まあ、生き物だしな。設計通りとは行かねえさ。で、どうする?」 フェイは腕を組み、今一度考え込む。 「仕事はこなせてるんだな?」 「ああ」 「じゃあ、様子を見て騙し騙し使おう。酷くなったら廃棄だ。この辺りを手中に出来るか、今が山だからな。戦力は惜しい」 「分かった」 この街はアジア一帯で最も発展し、最も安全と呼ばれた都市だった。だがそれは過去の話。国家の衰退と共に治安を維持する力も失い、種々の勢力の浸透を招いた。 今この街は各地から集まった裏社会の勢力が跋扈する、暴力都市である。力のある者が権益を握り栄える街。その勢力争いが連日絶えない。 その中で戦闘能力を強化されたクローンは、戦局を左右する存在として重用されていた。 リンスゥも、その一人だった。 その日が来るまでは。 広がる夜景の中、そびえる高層建築の群れ。 その建物の一つ。壁面に人影が三つ。上からロープ伝いに降りてきている。 ある階で止まる。 一人が背負ったバッグから、束ねた棒状の物を取り出す。 繋がっているその棒は、広げると一辺一メートルほどの四角の枠になった。それを窓に貼り付ける。コードを繋ぎ、手元にスイッチを握る。 他の二人に目配せし、頷くとスイッチを押す。 乾いた炸裂音がして、窓ガラスがその枠に沿って抜けるように割れた。 三人はすぐさまその穴から部屋へと突入した。 可塑性爆薬の爆破音と、割れたガラスを踏みしめる音に、寝室で寝ていた男が飛び起きた。 「な……なんだ、お前た……」 最後まで言わせることなく、飛び掛る。 腰の後ろからナイフを引き出す。一気に首元に突き立てる。 「きゃ……」 隣に寝ていた女が身を起こして悲鳴を上げようとした時、すっと背後に入ったのはリンスゥだった。 抱きかかえるように胸元を一突き。一瞬身を震わせた女の身体から、すぐに力が抜けていく。 二人とも即死だった。 「よくやった! 後はこいつのデータを落として……サン、外の様子を見ろ」 「了解」 リンスゥとサン、二体のクローンの指揮を取るのはジンロン会の幹部クァン。組織の命運を分ける夜襲は、まずその第一段階を成功裏に終えた。クァンは被害者の荷物を漁ると、タブレットを引っ張り出し、データを落とし始めた。 ここは上階がホテルとなっているオフィスビル。最近内地の組織がここに居を構えた。こちらでの勢力を拡張するつもりだ。当然地元既存勢力との縄張り争いが生まれ、抗争は激化。その隙に漁夫の利を得ての拡大を目論んでいるのが、リンスゥを所有するジンロン会だった。 その混沌の中、ジンロン会と兄弟関係にあった別の組織が寝返るという情報を得た。同時にそこの首領は対抗組織の保護下に入り、その組織の者が警備にあたる、このホテルへ身を隠した。 裏切りに対する報復、そして今後の敵組織への攻撃を有利に運ぶための情報を得るのが、今夜の目的だった。 「ふぁ……」 小さな声にリンスゥが気付いた。 脇にベビーベッドがあった。 毛布を剥ぐ。 小さな赤ん坊がいた。 「ふにゃ……うあ……?」 寝惚け眼でリンスゥを見上げる。 「あー」 母親と勘違いしたのか、小さな手を伸ばす。 本当に小さな手だった。血色のいい福々しい可愛い手。その手が何かを求めるように、リンスゥに向かって差し出されている。 見入るリンスゥ。 彼女の中で何かが揺らいだ。 「何をしている?」 「あ」 外の様子を覗いてきたサンが戻ってきた。問い掛けに、リンスゥは戸惑いながらベビーベッドを指した。サンもその中身に気付く。 「子供が……」 「よし、殺せ!」 「え?」 リンスゥの肩が小さく震えた。 「こんな小さな子供も?」 「小さな子供でも担ぐ神輿にはなる。禍根を残すな」 リンスゥはためらいながらナイフを抜いた。ひたと赤ん坊の首元につける。 「ふぁ……あ……」 その冷ややかな感触に、赤ん坊が泣き出した。 「あー」 大きな泣き声。 リンスゥは脈拍が跳ね上がるのを感じた。指先が震える。息苦しい。 「何してるんだ! さっさとしろ!」 苛立たしくサンが怒鳴った。それでも動かないリンスゥを見ると、押しのけてその場を代わった。 「もういい、お前がやらないなら私が……」 ナイフをかざす。 サンの首周りの空気がひゅうと鳴く。 一筋の赤い線が走ったかと思うと、首筋が割れ、鮮血がほとばしる。 驚いたようにリンスゥを見つめるサン。 「……あ?」 自分の身に起こった事を理解できず、目を見開いてリンスゥを見つめたまま、ゆっくりと崩れていく。リンスゥの強張る顔。どさりとサンは倒れた。 「リンスゥ?」 その音を聞きつけ、クァンが振り向く。そこには倒れたサンと、その周りに広がる血溜まり。そして血塗られたナイフをその手に持ち、立ち尽くすリンスゥ。 クァンも即座には何が起きたのか理解できなかった。ただ、この状況で考えられる事は一つしかない。 「貴様、さては……! 裏切りか!」 銃を上げる。 とっさに屈んで銃撃を避けるリンスゥ。手に持っていたナイフを横殴りに投げる。 それは窓から差し込む月明かりを反射して一筋の光の線を引きながら、クァンの腰に突き刺さった。 短く悲鳴を上げ、身を捩るクァン。リンスゥは落ちていたサンのナイフを拾い腰の鞘に収めると、小さな赤ん坊を抱き上げ、駆け出した。 「待てっ!」 その後姿にクァンが追撃の銃弾を撃ち込む。しかし、腰に刺さったナイフのもたらす激痛が、正確な射撃を阻害した。 リンスゥはそのまま部屋を飛び出す。クァンは通信端末を取り出し、不測の事態に備え街角に姿を紛れさせて待機している部下へと連絡した。 「ヤンか? リンスゥが裏切った! 今子供を連れて外へ出た! 始末しろ! 構わん! 裏切ったんだよ!」 エレベーターに乗ろうとしたリンスゥに、クァンの怒声が届いた。 リンスゥは眉をひそめた。 裏切るつもりはなかった。 ただこの子の伸ばした手を見た時に、彼女の中で何かが揺らぎ、そして強い想いが噴き出した。 その手の先にある物を、奪ってはいけないと思ったのだ。 身体を床に押し付ける加速度を感じると、エレベーターが一階に着き、扉が開いた。深夜だというのにまだ疎らに人がいるエントランスホールを突っ切る。その中には敵組織の警備の者もいるのだろう。深夜、毛布に包まれた赤ん坊を連れてホールを走る女という異様な光景に、異常を察知して身構える。 リンスゥは玄関を出た。 「いたぞ! 撃て!」 見つかった。 呼ばれた部下と道を挟んで鉢合わせになった。彼らはリンスゥの姿を認めると、激しく銃弾を浴びせてきた。リンスゥは身をすくめ、玄関の柱の影へと隠れる。銃弾は柱を叩き、後ろのガラスにも銃痕を穿つ。 「回り込め! 逃がすな……」 この事態に、ホールも騒然としていた。関係ない者は突然の事態に状況が把握出来ず、悲鳴を上げてその場にしゃがみこむ。何とか逃げ出そうと這いずるように壁の陰へと進む者もいた。 人々に紛れていた護衛達は、このために備えていただけあり、反応は早かった。銃を取り出し、集まってくる。 「上やられてるぞ!」 「何!」 「おいっ! なんだてめえら人んちのシマで……!」 「撃て!」 「やっちまえ!」 ビルの向こうからも護衛達が現れる。彼らは事の詳細は知らない。ただとにかく、今銃撃を加えている者が敵である。 裏切ったリンスゥを仕留めに来たジンロン会の増援は、正面ホールと側面からの攻撃にも対処しなくてはいけなくなった。飛び交う銃弾、響き渡る怒号。誰もが平静を失っている。 この混乱に乗じて、リンスゥは柱の陰から駆け出した。 二、三リンスゥを追う銃弾はあったが、銃撃戦の主体はもう他へ逸れている。背後にその音を聞きながら、リンスゥは振り向かず、ただひたすら駆ける。 どれぐらい走ったのか、強化され常人よりも優れた体力を持つリンスゥでさえ息が切れてきた頃、大きな公園に辿り着いた。 ここまで十キロ以上走っただろうか。大きく息を弾ませ、速度を落とし、後ろを振り返る。耳を澄ましても、さすがにもう射撃音は聞こえなかった。 公園入り口の大きなアーチ。扉の鉄柵は閉まっていた。ここの中なら一息つける。 リンスウは弾みをつけて鉄柵に跳び付く。片腕は赤ん坊を抱いたまま、もう一方の手で柵の上部を掴み、身体を翻して中に入った。 静まり返った深夜の公園。細い月が東の梢の上に顔を覗かせている。芝生の中を走る一本の道は、森の中へと続いている。その深い森の木立を風が緩やかに揺すっていた。梢の擦れる小さな音が、辺りを満たしていた。 その森の中へ、息を整えながらリンスゥは歩いていく。 汗の滴る肌を風が撫でていく。 その時、赤ん坊を抱えた腕にぬるりとした感触があった。 見ると赤ん坊は青ざめた顔でぐったりとしている。 慌てて毛布を剥ぐと、脇腹から出血。赤ん坊の産着に大きく赤い染みが広がっている。 「いつだ? あの銃撃で? 庇っていたはずなのに!」 胸元に手を当てる。 呼吸はない。 鼓動もない。 「……死んでる……」 小さな手をきゅっと握る。 リンスゥの心を哀しみが満たした。 立ち尽くしたまま静寂が過ぎていく。 やがてリンスゥは顔を上げた。そのまま公園の奥へと向かい、茂みの中へ入る。 道から外れた木立の下に適当な空き地を見つけて、そっと赤ん坊を地面に下ろした。 ナイフで地面を掘り返す。 地面はさほど硬くはなく、刃はすんなりと入ったが、そう幅の無いサバイバルナイフでは、スコップのように簡単に大きな穴は掘れない。 幾度も幾度も刃を突き立て、もう片方の手も使いながら、少しずつ広げる。 汗をぬぐう。その手には赤ん坊の血が付いている。 しばらくそれを繰り返し、ようやく望みの大きさの穴を掘ることが出来た。 掘り返した穴の底に、そっと赤ん坊を横たえる。 「すまない……」 囁くような小さな声で、赤ん坊に語りかける。 「あそこには戻れない……。今の私はどちらに捕まっても殺される……。かと言ってその辺に捨てるわけにもいかない……」 土を静かに戻していく。 小さな身体が少しずつ土くれに隠れ、やがて見えなくなった。 全ての土を戻し、小さく盛り上がったささやかな墓を作った。 名も知らぬ赤ん坊の、リンスゥだけしか知らない墓。 ふと後ろを振り向くと、そこに花壇があった。 花が咲いている。 白い可憐な花だった。 リンスゥは立ち上がり、その花壇に歩み寄ると、そっと一本手折った。 立ち戻り、土を盛っただけの墓に、静かに手向ける。 知らず一粒、涙が頬を伝った。 そのまま暫くその花を見つめて、立ち上がり、踵を返して歩き出した。 後ろには小さな墓。暗闇の中、白い花が薄くぼんやりと浮かび上がっている。 「さあ……これからどうしようか……」 リンスゥはまだ暗い夜空を見上げた。 人は何のために生まれてくるのだろう。 何のために生きているのだろう。 私には分からない。 私はただの道具だったから……。 |
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