ハーメル回顧録

2005/08/05

ハーメルンのバイオリン弾き 総括

というわけで、ハーメル回顧録のまとめ。前回まではカテゴリー、ハーメル回顧録でどうぞ。

このシリーズを書こうと思ったのは、ブログを立ち上げてみたら、結構ハーメルで検索してたどり着くお客様が多かった事がきっかけです。

連載終わってもう何年も立っていて、まさか今でも好きな人がこれだけいるなんて。関わった者としては、非常に嬉しい事態でした。

そこで、そういうお客様にちょっとした裏話を伝え、違う視点でまたハーメルを楽しんでもらえたら、と考えました。上手く行ったでしょうか?

全体として眺めてみると、「ハーメルンのバイオリン弾き」という作品は、知る人ぞ知る、という世間の評価で。アニメが上手く行かなかったこともあり、ミリオンセラー級メガヒット、というわけには行きませんでした。

さらに言えば、ナベ先生のスタイル、ギャグとシリアスを極端に混ぜている事が、評価を真っ二つに。弟子の僕が言うのもなんですが、ナベ先生は正直、アーティストのタイプじゃないし、テクニシャンの系統でもない。突っ込もう、揚げ足取ろうと思ったら、隙だらけです。

お話としても、途中、中だるみが起きている感は否めません。

でもね。近くで見ていたからというだけではなく。この作品には、そんな弱点を補って余りある物が込められていると思うのです。

どれだけ、漫画に対して純粋でいられるか。

どれだけ、自分の作品を愛して、誠実に向き合えるか。

それは好きな人にとってはかけがえの無い物となり、その作品をその人にとって、唯一無二の物にすると思うのです。

テクニックは確かに大切だけど、それだけじゃない。込められた魂が重要だ。魂と魂が惹かれあったとき、作品と読者との間に、固い絆が生まれるんだ。

そういう事を感じさせてくれる作品でした。

そんな作品に深く関わることができ、そんな姿勢を間近で学ぶことが出来たという事は、僕にとってもかけがえのないことだったと思います。

それだけに気がついたら絶版になってたのは、ちょっとショック(笑)。(関連記事)

さて、昨年10月より続いたこの「こっそり週刊連載企画」も、これでお終いです。

ハーメルが最終回を迎えた時には、なんとも言えない心にぽっかり穴が空いたような、哀惜の念を感じたものですが。今回記事を書くにあたり、作品を丁寧に読み込み、当時の出来事を思い出していたら、また同じような気持ちになりました。まさか二回、最終回気分を味わうことになるとは(笑)。

約10ヶ月にわたる長い間、ご拝読ありがとうございました。

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2005/07/31

ハーメルンのバイオリン弾き 37

ハーメル回顧録の37。前回まではカテゴリー、ハーメル回顧録でどうぞ。

とうとう来ました最終巻。

ナベ先生と、最後までのプロットを打ち合わせている時に、二人で確認したことがあります。

1.ベタでいいから、ケストラーを圧倒的な敵として描こう。

2.ベタベタのハッピーエンドで行こう。

ケストラーを圧倒的な敵として描く、というのは現在の主流とは、ちょっとかけ離れてるかもしれない。今は勧善懲悪のラスボスよりも、敵にも考慮すべき事情があって、という描き方の方が多いです。もしくは精神的にとんがってる感じ。ケストラーみたいな力の権化、というのは一昔前のタイプと思われちゃうかも。

でも考えたのは、流行り廃りじゃなくて、この話をどう決着つけるかという事。そのためには完全な対比構造にしないといけない。仲間とか思いとかを信じていない敵が、それによって滅ぼされる形。

かくしてケストラーはしつこいまでに復活を遂げ、圧倒的な力で、オーボウ、パンドラ、ライエル、サイザーと手をかけていくのです。

さらにこれでもかとケストラーの圧倒的な力。地球全体が焦土に。人類絶滅の危機。そして、そこに現れた、フルートまでもが。

そして迎える、最終章。

ベタベタでいいから、ハッピーエンドに。それを合言葉に考えたのが、この形。スフォルツェンドの女王として、慈母の力に目覚めたフルートが放つ光で形勢逆転。そして最後はやはり、みんなの力でケストラーを倒す。

「いくぜケストラー!! 貴様には…地獄の交響曲を聴かせてやる!!」親友ライエルと共に奏でる、交響曲「第九」。そして、フルートとパンドラの聖女二人のハーモニーによる第四幕「歓喜の歌」。魔曲に力を与えられたみんなが力を合わせ、そして弱ったケストラーを新しいパンドラの箱に封印。

こうして全ての災いの元を断ったのです。

…いや、断ってなかった(笑)。ここからがエピローグ。死闘の後はいつものハーメル。実はギータは下の犬が本体で、ケストラーの残した血痕を舐め進化を遂げ、更なる凶悪な魔族の王が……と思いきや。遅れてたどり着いたコルネットの「聖母殺人伝説」にて、あっけなく死亡(笑)。

これも、もうここしか出せないね、と言ってました。何しろあまりにコルネットが化けすぎて、シリアスなシーンには出しようがない(笑)。だって、どんな敵にも勝てそうだし。途中で、壮大なオチとして使うしかないな、という事で意見が一致しました。

そしてみんなの後日談。なんかもう、全てやり尽くした、これこそ最終回という感じですね。最後のページ、オイラが描いたんですよねえ……しみじみ……。

さて、裏話もこれで最後となりますね。それでは取って置きのヤツを。実はプロット考えている時、もしかして単行本のページが合わないんじゃないかという懸念があり、外伝を描くか、というアイディアも出たんですが。36、37巻を増ページすることで解決しました。

描くとしたら、ハーメルとフルートの子供と、ライエルとサイザーの子供の珍道中。大きな話じゃなくて、ちっちゃい子が頑張る、ちょっとした冒険譚がいいな、と。その時はハーメル、フルートがあんなに子沢山だとは思ってませんでしたが(笑)。

そういう幻の外伝のアイディアもありました、という裏話。どうでしょう、見たかったですか?

さて、次回。ハーメルンのバイオリン弾き、総括。

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2005/07/21

ハーメルンのバイオリン弾き 36

ハーメル回顧録の36。前回まではカテゴリー、ハーメル回顧録でどうぞ。

前巻から始まっています、ハーメルvsケストラー。同時にトロンvsギータも。物語のクライマックスで、全面対決になった時、各所で起きている対決を同時進行的に見せる構成は、他の作品にもよく見られる手法ですが、これ諸刃の剣なんですよね。

盛り上がったところでカメラが切り替わっちゃうと、せっかくの読者のテンションが切れやすいし、戻ってきた時に、前どこまで進んでいたか思い出すのに時間がかかったりして、入りづらいし。作者が思っているほど効果的じゃないケースというのが起きやすい。ではなぜ、わざわざそうなっているかと言うと。

このふたつのエピソードは、実はテーマとしては同じです。魔族対人間。人間のほうが圧倒的に不利で、魔族の側から言わせれば、人間なんて、魔族に利用されて殺される、餌に過ぎない存在。そんな存在、虫けら同然。

それに対して、人間であること。肉体的には弱々しい存在かもしれないけれど、他人を思う心を持つ事で、肉体を超越して強くなれる。自分は犠牲になるかもしれなくても、その思いが人に伝わり、大きな力を生み出すことが出来る。

同時進行で起きている二つの話は、形を変えて同じテーマを追っている。だから一つを片付けて次、という描き方をすると、同じ話の繰り返しになってしまう。そこで同時進行、ハーメルがピンチの回はトロンもピンチで、逆転するのも同じ回。

このテーマは前回でも書いたとおり、ナベ先生の信念、人間賛歌です。結局長い連載を通して、一番書きたかった事がこれなのです。自分のために頑張るのは当然のこと。誰かのために頑張れるのが尊いのだ、と。

トロンは「誰かのために剣を振れるようになれ」との父の教えを理解して、それを実践した影の主人公。少年漫画を成長物語と定義すれば、まさに主人公的活躍です。ちっちゃくて泣き虫だったトロンが、いつの間にか大勢の人を助けて、慕われる存在に。

さて、トロンの方はこの巻で完全決着となりましたが、片やハーメル。

わが身を犠牲にしてでもケストラーを倒すと、あえて魔族の血にその身を染め、ケストラーを打ち砕く一撃を放ったかに見えたのですが。そこは敵も最後の大物、ラスボスです。

次巻とうとう最終巻、更なる悲劇が一行を襲い、そして最後に……。

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2005/07/16

ハーメルンのバイオリン弾き 35

ハーメル回顧録の35。前回まではカテゴリー、ハーメル回顧録でどうぞ。

「人はね…自分の"力"を、愛しい人のために使うことができたら…後悔など、しないんだよ」

かくしてスフォルツェンドの物語決着。

ぱっと見、これだけ絵柄も違うし、話の進め方も違うし、作風から言ったらまるで師弟関係が見えない僕とナベ先生ですが。何を描きたいのか、何が重要だと思っているのかという、根っこの所で繋がっている。

要するにこの手の話を描きたいわけで。

32巻の回でも書いたとおり、このクライマックスというのは、当初の予定通り。ホルン様が十字架に法力を込めていて、それと一緒に詰められた思いが最後に助けてくれて、リュートにもみんなの思いが通じて。

で、ベースを倒すんだけど、リュートの体はもう限界で、みんなと一緒に昇天してしまう。最後にフルートに思いを伝えて。

で、それを二人で煮詰めていきながら、やっぱりうるうる来ていたのも、書いたとおりです(笑)。ほんとに、二人とも好きなんですよ、こういうシーン。やっぱり漫画は気持ちや思いの深さを描くのが一番だ、と。

客観的に言えば、当然一番は人によっていろいろ違うんでしょうけど。でも自分達にとっては、一番はそれ。気持ちや思いを描き切らなかったら、漫画なんて面白くない。その信念の結実が、このシーンだといえるでしょう。

死んでるはずのリュートが普通に動けちゃったりとか、ホルン様の幽体がクラーリィ持ち上げちゃったりとか、真面目に考えたらありえない奇跡がバンバン起きちゃってますが、それもそれだけのエネルギーが思いには込められているんだという事で。

ともすれば漫画は、御都合主義になりがちです。「それが”想い”ってヤツだよ…ベース…」というリュートの言葉も、使い方間違ったら凄い言い訳になってしまう。それを防ぐのが、作者の信念だと思うのです。

そのほうが受けがいいから、ぐらいのネタとして取り扱ってたら、どっか隙が出来て読者に看破される。いや、無理矢理なのは最初から否定出来ないんだから、突っ込まれるのは承知の上。

でも根っこにエネルギーが込められていれば、寓話として成立する。読んでる方が現実には無い事だと分かっていても、気持ちの深さが伝われば、これは物語上の技法、出来事のデフォルメなんだと。伝えるために大げさに描いてるんであって、伝えたいのは根っこの所だと分かってくれるはず。

そこまで行けば、現実ではありえない事が描いてあるというのが、逆に物語の素晴らしさになるんだと思うのです。人を思う気持ちがどれだけのエネルギーを持ち、どれだけの奇跡を起こすのか。

現実の世界でも、思いの深さが不可能と思われていたことを可能にすることはあるわけで。そういう人間賛歌を描きたいのだ、というのはナベ先生の口癖でした。

その気持ちはハーメル全体にずっと貫かれていて、そしてそれが最終決戦へと。この巻から始まるケストラーとの対決。

としてとうとう長い物語も、最終局面を迎えるのです。

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2005/07/08

ハーメルンのバイオリン弾き 34

ハーメル回顧録の34。前回まではカテゴリー、ハーメル回顧録でどうぞ。

「もったいないねー」というのが、当時アシスタントの間で囁かれていた感想。

何がかと言うと、「スフォルツェンド聖十字軍王家親衛隊」が。漫画における絵の力というのは大きくて、ポンと出てきたインパクトで、物語のイメージが、わっと広がったりする。

手伝っててみんなが感じたのが、こいつらこれまで結構なドラマがあったんだろうな、という事。でも、もうお話は最終回に向かって突っ走っているから、その辺は触れることなく、みんなここで死んじゃう。それがもったいないね、と。

特にリーダー格のサックス君。片目に大きな傷はインパクト絶大。こいつ絶対クラーリィとライバルで、大神官の座を争ったんだぜ、と勝手に裏のドラマが出来ちゃう。

これもリュートの物語が、ちゃんと伏線張られていた効果です。過去のリュートの話で、ちゃんとリュートを慕う子供たちが描いてあったから。だから、いきなり出てきても「ああ、あの子達が!」と、納得できる。そして描かれていない部分にも想像が及ぶ。

これがいかにもこの後使いますよ、というタイミングで伏線張ってあったら、効果薄。手順としては間違っていないけど、想像力を掻き立てる、という所までは難しい。

伏線を張る、という言い方もちょっと違うんですよね。物語の作り方のレシピやノウハウとして、手順として伏線を張るんじゃないのです。一生懸命ドラマを考えて、想像力を膨らませていけば、後ろはこうなってるんだから、自然と前はこう、という感じ。

漫画の種類によって、違ってくる部分はありますが、ハーメルのような感情的なクライマックスを描く物語の場合は、そういう感覚で作品に当たるのが重要なんじゃないかと思います。その部分をナベ先生から学びました。

溢れる気持ちがクライマックスなのに、描いてる方が醒めてて打算だらけだったら、そんな嘘すぐばれちゃう。素直に真っ直ぐ描かないと。キャラクターを駒ではなく、ちゃんと、架空の存在でも一人の人間として扱ってやれば、感じていることが行動に結びついて、自然とドラマが出来ていくのです。

特にスフォルツェンドの物語は、ハーメルの中でも長い間語られてきたエピソードです。クラーリィにもフルートにも、それまで名も無きモブの子供たちだったクルセイダーズの面々にも、積み重ねてきた思いや行動がある。

それがこの34巻に結集している。そうして分厚いドラマになっていく。その中にはかなわなかった哀しい思いもあるけれど。

でも、その思いが、リュートの心には届いて、以下次号。

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2005/06/30

ハーメルンのバイオリン弾き 33

ハーメル回顧録の33。前回まではカテゴリー、ハーメル回顧録でどうぞ。

赤い羽根の天使。

サイザーの贖罪については何回か触れてますが、難しいテーマです。漫画だから、ある程度事態も単純化して描かないと描ききれないんだけど、あんまり都合よすぎても駄目だし。その辺のさじ加減が。読む人によっても違うしね。

で、サイザーについては、散々苦しんだあげく、オカリナの思いを受け止める形で、生きて頑張ることを選択したわけですが。読者に対してはそれでいいけど、それを知らないこの作中世界の人にとってはどうだろう。

というわけで、このテーマを完全決着させるために、オルゴールと最終対決。今までと同じように見せといて、違うのだ、サイザーは乗り越えたんだ、というところを描く。さらにその姿が人々にも伝わって、「赤い魔女」から「赤い羽根の天使」に昇格。

こうして長く続いたサイザーの贖罪というテーマは、ついに決着を見たのです。

こういうクライマックスを考える時には、キーワードが重要です。一言ぽんと収まれば、全体がすっきりまとまる。頭をひねって「赤い羽根の天使」というのを思いついたときに、それで決まりだ! と。上手く収まったと思うのですが、いかがでしょう?

さて、いい話に振ったところでドーンとギャグを持ってこないと気が済まないのがナベ先生で(笑)。早速天使がらみでオリン爺さん登場。ヒントは作中にちゃんとあるんだけど、断定されていなかった、オリン爺さん実は天使という衝撃の事実を発表。

これのために前巻に外伝が収録してあるのです(笑)。これギャグ王に載ったんですね。

ギャグ王と言えば僕らの間では、溝渕さんが連載とって、みんなで喜んで祝福して送り出したのもつかの間、すぐに廃刊。当然溝渕さんの連載もパーで、ギャグ王とは名ばかりで笑えない事態となった、因縁の雑誌です。

4コマとかショートギャグが結構子供に受けるから、別枠でやろうと始めて、辛抱しきれずにストーリー漫画を入れてリニューアル、そこでぽしゃったんですよね。漫画は難しいですね。

サイザーのテーマが終結した次に始まるのが、スフォルツェンド王家の物語、最終決着。この巻の後半から、リュートの強大な力の前に、みんな大ピンチ。術者を倒さねばという事になって、とうとう城に突入することに……。以下次号。

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2005/06/23

ハーメルンのバイオリン弾き 32

ハーメル回顧録の32。前回まではカテゴリー、ハーメル回顧録でどうぞ。

いやー、ナベ先生は律儀な人だなーと思うのですよ。魔族と人類の総力戦。勇者一行を助けるべく現れる、各国の精鋭達はいいとして。あんな人やら、こんな人やら。

漫画のクライマックスで、今まで出てきたキャラクターが勢ぞろいして、主人公を後押しするというのは、燃えるパターンなわけですが。一巻の頃のキャラとか、外伝のキャラとか、脇にチラッと出てきただけのキャラとか、とにかく全部勢ぞろい。

こんな遊びをしているから、なんかあっちにふらふら、こっちにふらふらという印象が否めない(笑)。でもそのため読者は、次に何のシーンが来るのか、さっぱり読めない。遊びは漫画に重要です。作りこみすぎちゃうと、消えちゃうんだけど。

さらに一見そう見えて、話作りは基本に忠実、骨の部分はしっかりしているから、ちゃんとストーリー漫画として進んでいく。クライマックスは燃える展開に。一挙両得、一粒で二度おいしい。ナベ先生を評価している人は、こういうところを押しているんだろうなと思うのです。

さて、この巻ではホルン様の凄絶な大往生が描かれているわけですが。お察しのとおりこの辺も、ラストに向けてのプロットに計算して組み込まれていて。

30巻のホルン様が病床に臥していながら、十字架に残った法力を詰め込んでいたりとか、この後リュートとの戦いや、最後の決戦で、その力が助けてくれたりとか、そういうのは全部一本の糸で繋がるように計算してました。

計算というと、何か冷たく聞こえるかもしれませんが、話作りにおける計算というのは、要するに一回全部想像してみることで。話を想像しながら、読む人の気持ちも考えていく。そんな作業をナベ先生と二人でやっていくと。

話し合っているうちに、どんどん細かいとこまで想像し始めるわけですよ。伏線があーなってこーなって、ホルン様はこのときこんなこと考えていて、それを後々こういうシーンで受けて……。アイディアを出し合う形で話を固めていく。

で、最後ホルン様が娘に心配かけまいと見送って大往生、というところにたどり着くと。…いかん、泣けてきた。二人でそんな感じで(笑)。

ベースの最後とか、ライエルがケストラーに立ち向かうとことかでも、話しててそんな感じになってました。自分で泣けたり、燃えられたりするレベルまで煮込まないと、人に伝えるなんて出来ないんですよね。

自分が10考えて、人に伝わるのは3とか4とかだから。自分で泣けるとこまで考えて、ようやく人の心がちょこっと動く。人には見られたくないですが(笑)。

登場人物の想いとか、気持ちの流れとか、そういう物を最初に整理してあるという事は、全体を俯瞰して描けるという事でもあって。逆に一つのシーンを描くにしても、その後これがああなって、ということが分かっていれば気合も倍増なのです。

キャラクターを描いているのはナベ先生なのですが、自分にもそういう部分があったのでしょうか、今見ると大変な作画のはずなのに、辛かった記憶があまりないのです。乗れていた、という事なのでしょう。

自分の漫画でもそういう状態で描きたいなあ、と思います。

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2005/06/15

ハーメルンのバイオリン弾き 31

ハーメル回顧録の31。前回まではカテゴリー、ハーメル回顧録でどうぞ。

というわけで、前回書いたとおり、物語は終焉に向かって着々と進んでいるのです。まずは今まで断片的にしか描かれていなかった、ハーメルとサイザーの誕生秘話。

僕とナベ先生の間には、ケストラーを描くに当たって、一つの共通認識がありました。たとえベタになってしまってもいいから、絶対的な悪役として描くという事。

僕が子供の頃にはすでにあったと思うのですが、アニメなどで美形の敵役が出てきたあたりから、絶対的な悪役というのが描かれなくなっている傾向があって。敵にものっぴきならない事情があるんだよ、という描き方。

確かに現実世界ではそうなのですが、リアルだからと言って何でもかんでもそうしてしまうと、どうにもならないジレンマに捕まって、物語が不完全燃焼に終わってしまう。

さらに言えばハーメルは、明らかに寓話です。大体、いもしない魔族が出ているのです。この時点でリアルなんて糞食らえ。物語のテーマが浮き彫りになるように描くべきなのです。

ハーメルのテーマの一つとしては「仲間」というものがあって、大切な人を想うこと、その人のために頑張ることが描かれている。だったら敵役は、それを否定する存在でないといけない。かくして、我が子でさえも自分のために利用する、悪の大魔王が誕生。パンドラ母さん酷い目に。

そして、この巻では、ある伏線が張られています。ハーメルのバイオリンに合わせて、フルートが第九の歓喜の歌を歌っている。

これは最終回、どうやってケストラーを倒すか、というところまで決めてあっての伏線。さらにそれでハーメルとフルートがいい雰囲気になったところで、ケストラー登場。これから先の困難を暗示するのです。

このように、30巻代に入ってからは、プロットはかなり計算づくです。最短距離でラストに向かって突き進む。

ですが、ナベ先生の漫画の特徴として、話があっちに行ったりこっちに行ったりしている様に見えるわけで。それは遊びのシーンを描くのに余念が無いから(笑)。いや、漫画には必要なんですけどね、遊びのシーン。ないとつまらなくなっちゃうから。

その遊びが次の巻では大爆発。まさか、あんな人や、こんな人まで……(笑)。

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2005/06/08

ハーメルンのバイオリン弾き 30

ハーメル回顧録の30。前回まではカテゴリー、ハーメル回顧録でどうぞ。

それは年末進行を終わらした日のことでした。年末は印刷所がお休みになってしまうので、いつもより締め切りきついのです。

その日はエニックス出版部の忘年会がある日だったのですが、さすがに疲れていたので、僕は留守番。パーティでタダ飯食うより、しばしの休息を選んだわけ。しかし、僕の行かなかったパーティ会場で、事件は起きました。

ヘロヘローンとしながらみんなの帰りを待っていると、ナベ先生が帰ってきて開口一番、「もう、終わらせてやる!!」

激高するナベ先生、オロオロする連れのアシ達。ナベ先生がこんなに怒るなんて珍しい。と言うか、ほとんど無い。切れて爆発なんて、仕事場ではむしろ僕の役どころです。何があったのか聞いてみたところ。

パーティ会場で顔見知りの編集さんと話している時、言われた一言。「ハーメルも、もう、長いですよねえ」

これがナベ先生の逆鱗に触れたらしい。「そんなに不満があるなら終わらせてやる! やろうと思えば来月でだって出来るんだ! 北の都を前にして『さあいくぞ!』で…」すごい剣幕。

僕はその場にいなかったし、公正を期して推測で断定はしませんが。実際「長いですよねえ」と言う場合も、「だらだら続けやがって」なのか「すごいですね」なのか、両方の場合があるわけだし。その前後の細かいやり取りとか、言ってる様子とか見ないと分からない。

でもはっきりしているのは、目の前のナベ先生が物凄く怒っていて、ナベ先生には非常に失礼に聞こえたらしいということ。まさか本当に連載放り出すとは思えないけど、ここは何とかなだめないと。

で、これを機会に、前々からちょっと感じていたことを伝えてみたのです。

そろそろハーメルも30巻、確かに長期連載です。終わらせなければいけない時期は、確実に迫ってきている。だったらちょうど年末年始の休みがあるんだし、これを機会に、ここで思い切って最後まで展開を決めてしまったらどうか。今まで張った伏線を洗い出して、ちゃんと閉じれるように。

実際に単行本だって売れていて、ずっと楽しみについてきてくれている人がいるんだし、その人たちに最高のエンディングを見せなくては。ガチャガチャ言う人なんか関係ない。責任を持たなきゃいけないのは、そのお客さんに対してなんだから。

と言うわけで、年末年始で最後までの物語の構成をしました。細かいアイディアやエピソードの足し引きはありますが、最後に至る流れはこの時点で、「この回でこれをやる」というレベルで決めました。それが30巻冒頭でのこと。ここからラストに至るまでのカウントダウンが始まったのです。

この巻でいうと、フルートの「聖女としての役割」だったり。あれを描いた時点で、何回後にこれを受けてこういうエピソードが、というのは決まっていました。

また、この時から僕は、完全にブレーンとして働くようになったのです。今までは「困った時の相談相手」でしたが、「原案協力者」として。

プロットを切るときからネタ出し協力をし、ネームも見て、意見をして。実際採用されたアイディアとしては、リュートの最後とか、他いろいろ。

だからハーメルがちゃんとしたエンディングを迎えて、それが結果に反映されたということを知った時は、確かな満足を覚えました。

災い転じて福となす。ハーメルの終わり方を決めた大事件でした。

この流れで、次の「PHANTOM; DEAD OR ALIVE」の時に、名前が出てるわけですね。あっちも上手くいけばよかったんですけどねえ(笑)。

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2005/06/02

ハーメルンのバイオリン弾き 29

ハーメル回顧録の29。前回まではカテゴリー、ハーメル回顧録をどうぞ。

死んだら泣けるっつーもんじゃねーんだよ。気持ち伝わるから泣けるんじゃん? 死ぬほど本気だったって気持ちに泣けるんだよ!

…失礼しました。つい取り乱してしまって。いや、多いからさ。とりあえず死んでる漫画とかアニメとか。

というわけで前回に引き続き。今度はオカリナが本気の気持ちを見せる番。ですが、ライエルと違うのは。彼女は死んでしまうこと。

小さい頃からサイザーの面倒を見てきて、唯一の理解者で。けれど負い目も感じていた。サイザーをこんな運命に引き込んでしまったこと。

魔族の片棒担いで、サイザーに本当の事を教えずに、「ハーメルンの赤い魔女」に仕立て上げるのに、一役買ってしまった罪悪感。ずーっと伏線として、それが語られてきていました。でもそれだけじゃないことも、ちゃんと描かれている。オカリナがどれだけサイザーのことを思っているか。

そしてずっと張られてきたそれらの伏線が、この巻に収束していくのです。いい演出なんだよなあ、ここ。

冒頭、二人のコンビネーションが炸裂しているところで、「ずっと…いっしょにいてね…オカリナ…」という過去のシーンが一枚入ってるんですよね。

それでギータが本性現して、地獄の番犬ケルベロスと化して、サイザー大ピンチ、オカリナも捕まっちゃう。で、ねちねちいたぶるわけですよ、オカリナの罪悪感つついて。さらにオカリナがもう寿命だ、という事をはっきりさせちゃう。

それを知ったサイザーは涙する。自分を止めようとして命を縮めたことを知って。そこでもう一度過去のシーンを回想。小さい頃から、どれだけオカリナが自分を支えてくれたかを思い起こす。そんなオカリナの気持ちを見せといて。

でもオカリナは、さらにそれを超える思いを見せるのです。まさにサイザー食われちゃう!という時。瀕死のオカリナ立ち上がって。「大丈夫…だからもう…泣かないで…ね…」と。

ここまでアクションシーンが続いているんだけど、この構成によって、ずっと根底にテーマが流れているのです。サイザーとオカリナの絆の深さ。最後のモノローグも、回想シーンにも繋がっているし、そこからずっと続いている、オカリナのサイザーへの思いなわけで。

で、命を顧みない渾身の鳳凰千破が炸裂、ギータとオルゴールを吹っ飛ばす。でも、ハッピーエンドかと思いきや、振り向くオカリナは寿命が尽きて崩れ始めていて。

崩れていくオカリナを必死で抱きしめるサイザー。オカリナは最後までサイザーに謝ってる。サイザーは否定したいんだけど、声にならない。ここでべらべら喋ると嘘になるんですよね、余裕あるじゃんという感じで。でもサイザー、もう動転しているから、言葉にならない。

で、最後のオカリナのサイザーへの遺言。聞き取れない。口の動きだけ。これも秀逸な演出。読者はみんな分かっているわけですよ、オカリナの気持ち。でも、サイザー本人は聞いたことがないわけで。それを引っ張って事件の後、オカリナの墓の前で。

ライエルの心の中の問いかけ、「最後にいいかけたこと…わかるかい…それは…」に応えて、「”生きる”ことに…したよ…」と。

ドドーンと見開きで。ホントいいシーンですよねー。オイラもオカリナの気持ちに応えて、一生懸命描きましたよ、背景。

前に「サイザーが最後まで生きてるのはまずいんじゃないか」と思った話をしましたが、これを見たら納得。ここまで悩んで、そして思いを託されて、頑張って生きようと決めたならいいか、と。いや、むしろ頑張れ、サイザー。

漫画家人生でこういうシーン描く機会、なかなか無いですよ。ここまで伏線積み込むのがまず大変。クライマックスの形だけ描いても意味無いから。気持ちの積み重ねが大切だから。いいなー、ナベ先生。うらやましい。オイラもこういうシーン描く機会にたどり着けるだろうか。

「バド○イザー」にコメントしようかと思ったけど、やめた(笑)。せっかくのいいシーンだったから。

さて次回、とうとう予告通り、大事件が起きてます。

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