こちらの記事を読みました。
漫画家アシスタント不足問題ーーアナログ画だけでなくデジタルでも「リモートでは教育が難しい」代替案は? Real Sound 24/10/04
漫画制作のデジタルシフトで、アシスタントもリモートで作業するようになり仕事場に集まらなくなった結果、技術の継承ができていないのではないか、という記事です。
僕がアシスタントに入り始めた頃には、基本アナログ作業で仕事場に集まって缶詰が普通でした。渡辺道明先生のところで2週間ぶっ続け泊まり込み、というような時期もありました。夏の終わりぐらいに仕事に入って、そのまま他の先生の仕事もはしごして、久しぶりに家に帰れるとなった時にはすっかり気候が涼しくなっていて半袖だと寒い、という事態になったこともあります。懐かしいですね。
そしてそういう中で、至らないところを辛抱して使ってもらって技術を身につけていったわけです。まあ僕はそんなに腕が立つわけでもないのですが、でもだからこそ、きちんと手取り足取り教えてもらわなければできないということがよくわかります。
さらによく仕事場で、僕や他のアシスタントがやっていたのが、背後霊。渡辺先生の後ろに立って、手元をじっと眺めるのです。気づいた渡辺先生が、無言で後ろに立つのやめてと悲鳴をあげたこともありました。そういうところで、色々盗んでいく。それはリモートではどうにもならないですよねえ。
ちなみに、この記事中で紹介されているXの峰倉和也先生のアナログアシスタント募集のポストは、僕のタイムラインにも流れてきました。あの画質で作業についていけるアナログアシスタントとなると、もうなかなかいないんじゃないかなあ。
記事には触れられていない部分で、これの遠因ではないかという僕の私見を書きますと。
この人材不足は、長らく続いた業界の慣習的利益再分配の結果だ、と思います。
漫画家の仕事は単行本が出てなんぼ、ということは昔から言われていました。原稿料はアシスタント人件費とか仕事場の維持費に消えるからです。そして単行本の印税が1割。
しかし、これは適正な比率だったのか。立場が弱いので、搾取されていたのではないか。
例えば書店に飾られるポップ等の宣伝素材は漫画家のタダ働きであるケースが多い。宣伝すればその分売れるからいいでしょ、という理屈です。でもその分売れて儲かるのは、出版社も同じなのです。ということは編集者が休日返上で無給で書店営業しまくっている場合じゃないと公平ではない。
単行本の表紙を描いても原稿料出ないという漫画家さんの嘆きも、このあいだXで流れてきました。これも上記と同じ理屈ですね。ちなみに当然ですけど、装丁に関わるデザイナーさんにはお金が出ています。漫画家だけ無給です。出てるところもあるという話も流れてきましたが、出すところは偉いという話ではないのです。他の仕事であれば自分のところで売る商品の材料を仕入れる時に、気分次第で払ってやるよ、という態度が通用するわけないですよね。
さて、そういう状態なので、一部ヒット作家の華やかな話でごまかされているだけで、漫画家は原稿料も印税もギリギリのラインに抑えられている。ということは、その余波を食ってアシスタントに払うお金もギリギリです。こういう現場にお金が落ちてこない構造は、アニメ業界なんかでも言われていますね。
ちなみに、アシスタント募集の文言に漫画家を目指している人という条件が入っていることが多いのは、そういう人の方が修行だからとがんばることが期待できる他に、仕事として考えたら条件悪いから、修行として夢を搾取しないと成り立たないからだと思うんですよね。
昔、時給を計算して、ダメだこれは考えちゃいけないと思ったこともありました。別に格別安くこき使われていたという話ではないです。相場通りでも格安時給になってしまうのです。会計的には雇用ではなく請負ということにして、最低時給適用外になってる。
佐藤秀峰先生が以前その点について、実態は雇用なんだからちゃんとしないとと問題提起していましたね。大御所の先生のチーフアシスタントでしっかりとしたお給料をもらっている人の話を聞いたこともあります。ただ、全体としてはそうなっていなかった。
そうなると、一部のすごい背景を描ける人は引く手あまただからプロアシスタントとして続けられるけど、ほどほどの人だと漫画家になる夢が破れた時点で「まともな」仕事につかなきゃとなってしまう。必要な技量は職人だけど、仕事としては底辺、下手すればそれ以下だから。こうして描ける人が不足する。アナログを経験しているベテランでフリーの人は、そういないと思います。
さらにデジタルアシスタントでリモートだと、形としてもフリーランス同士の請負になります。さてそうなった時に底辺職のままでは、わざわざそんな仕事に就こうという人はいないので、修行する場もないし、修行する動機もありません。そうするとデジタルアシスタントでも、この傾向は加速するんじゃないでしょうか。
記事中にAIを使ったアシスタントが出てきましたけど、むしろ作家が直接使って人手不足をなんとかするのが普通の時代になるかもしれないですね。今でも写真トレスの代わりの機能はあるし、3Dモデルを作ってそこから背景や小物を出力するのもできますし、そういう機能を使って効率化を図っている人はいます。
AIモデリングはまだ精度が低いみたいですが、そのうち一度設定のラフスケッチ描いたら3Dモデルに起こしてくれるようになるかもしれない。そういう技術の進歩に期待するしかないのかも。
さて、技術の継承という観点で、僕自身の体験談からもう一つ問題だなあと思っていることがあります。
それはお話作りについてです。上の記事では画面作りの話しかしていませんが、みんなが集まった共同生活の状態で、実は一番力がつくのは話作りについてなのではないかと思うのです。
ただ、これは先生によってだいぶ変わってくる話です。運よく漫画の話をするのが大好きなタイプの先生のところに行くと、自分の持ってるノウハウとか考え方を惜しみなく話してくれます。他の人とも意見交換ができる。僕は朝から晩までそんな感じで育ちました。あれはめっちゃ大きかった。
さらには仕事が終わった時に、自分の描いているネームを見せて感想をもらうこともできます。これもめっちゃ大きい。持ち込みに行って担当さんと話していても得られないものがあるのです。相手が実際に高いレベルで描ける人だからです。
どこをどうすればどういう印象が与えられるか、という細部がしっかりわかっている。よく、読んで批評してもらっている時に、だんだん口で説明するのが難しくなった先生が、その場で描き直してくれるということがありました。渡辺道明先生だけではなく、当時は近所に西川秀明先生もいて見ていただく機会も多く、やはり描き直してくれたことがあります。そうすると目の前で、見る間に『ハーメルンのバイオリン弾き』風とか、『Z-MAN』風に直っていくのです。
そのままだと周りから浮いてしまうので、自分風に直さないといけないのですが、でもそうやって具体例を見せてくれるので、何が問題なのか 見比べてすぐにわかる。
現在、コミカライズ作品等で、原作と作画以外に構成の人がクレジットされていることがありますが、これがネームを描いている人。お話をネームの形に起こすというのは実は特殊技能なので、それに長けた専門家を入れなければいけないケースがあるということなのです。ここの部分は独学で学ぶのはとても大変なうえ、描いた経験のない人が教えるのも非常に難しいと思うので、現場での修行がなくなった今、なかなか手薄になってるんじゃないのかな。
そうすると、最初から感覚的につかめている天才じゃなければならないということになる。世に発表する手段は多様になり、そこのハードルは下がっていますが、面白いとみんなに認めてもらえるものを書くというハードルは、ある意味助走なしになってきつくなってるのかなあと思います。
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