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2019/09/17

執筆者サバイバル・コンテンツ多すぎて埋もれる問題

前回は、最近巷で話題になった「描写くどい問題」は、ジャンルと最適化の問題で、どういう読者さんに来てほしいのかというマーケティングの問題をも含んでいるのでは、と書きまして。

今回は、じゃあ当然、最近のコンテンツ事情が影響してますよね、というお話。

そしてさらにですね、なんでこの記事、「執筆者サバイバル」というタイトルになってるの? という話と、なんでトークイベントから触発されてこの記事書いてるの? という話に続きます。

さて、昨今のコンテンツ事情、ということになりますと、なんと言っても、本日のタイトル通り、「コンテンツ多すぎて埋もれる問題」があると思うんですよね。

むかーしむかし、僕が小学生のころだったら、コンテンツと言っても選択肢がすごく少なかったんですよ。言っちゃえば、地上波テレビ数局と、漫画雑誌が数冊ぐらいだった。あと小説。こちらは本屋さんに行くか、図書館で借りるか。

それが現在ではとんでもないことになっています。動画コンテンツは、放送局自体も衛星放送などを含めればずっと増え、あの時は家庭用ビデオが出るか出ないかだったからリアルタイムで見るしかないものが、ストリーミングのサービスまでできたからいつでも見れる。さらに、Youtube等の動画サービスで、作り手がどさっと増えた。

昔は「今何見ようかな……面白いやつ、やってないなあ」とかあったんですよ。今はそれどころか、面白いやつを全部見るには時間が足りない。

漫画だって、マイナー誌だけではなく、ネットの投稿サイトもできて、どさっと数が増え、さらに電子書籍化で絶版がなくなったので、過去作まで掘れば膨大な数が。やっぱり面白いやつを全部見るには時間が足りない。

小説も、投稿サイトで読める作品数がめちゃくちゃに増えているのは同様ですね。

そうなるとまず、そもそも論として、埋もれる。圧倒的なコンテンツ量の中で埋没して、読者に自分の作品の存在すら届かない。

ただ、この点については、僕はそんなに嘆いていません。コンテンツが少ないころにこの道に入ったので、よく考えたら今の方がましだからです。腕が足りないと判断されたら、表に出ることさえできない。世に存在さえ許されない。無能なお前の価値は虚無。昔がそういう状態だったと考えれば、今はとりあえず、出すことができる。全然まし。例え読者が10人しかいなかったとしても、ゼロと比べたら無限大倍です。大変だけど、嘆くところじゃない。

嘆きたくなるのは、別のところ。

埋もれてしまうのを回避しようとする結果、内容に影響してしまうところです。

ご飯の席でちょっと話題に上っていたのは、最近は当たり前になってしまった、著者のお願いツイート。「初動が悪いと連載が打ち切られてしまうので、すぐ買ってください、お願いします」というやつです。ええ、わかっていますよ。重々に。僕も友達の単行本を発売週に新宿の紀伊国屋に買いに行きましたよ。

売り上げが悪ければ続編が出ない、ということ自体は昔からありました。ただ、そこに出版不況が重なり、状況がさらにシビアになっています。

そしてさらに、「埋もれる問題」が乗っかってくるのです。

埋もれたら、初動どころではありません。何とかスパッと読者に情報を届けなくてはいけない。ラノベのタイトルが長くなったのには、この事情が影響していると思われます。昔ながらの読んだらわかる方式の読後にポンと膝を打つタイトルではなく、内容を先にはっきり示唆する形の方が結果が出た。

最初のつかみも大切です。昔から大事だとは言われていますが、より重要になっています。前述のとおりコンテンツが膨大にあって、今の読者は忙しい。面白いかどうかの判断は直感的。そして一度つまらないと判断したもののその後をわざわざチェックする暇もない。この一期一会を生かさないと後がない。

さてそうすると、一つ発生するのがジャンルの問題です。ここら辺りから、前回とリンクしていきますよ。

ライトノベルで異世界転生ものが一大勢力となっていることについて、批判する声を見かけますが、結果が出ているからそうなっているわけです。ではなぜ、そのジャンルが結果が出やすいのか。この状況への最適化、という側面があるのではないかと思うのです。

前回書いたように、異世界転生を含むなろう系と呼ばれるジャンルは、暗黙の共通の世界観があります。そしてその作品の売りが、みんなが当然と思っているところで裏をかくような、設定を一つひねるものが多いので、わりと早い段階で面白さが分かります。さらに、共通部分の説明を省くことができるので、冒頭のかなり早い段階に山場を作りやすくなっています。

つまり読者がパッと見て判断するという現状に、合った構造になっているのです。

パッと見て判断する現状という点では、動画の例も出ました。サムネイル画像に文字が入っているものが増えた、という話が出たのですが、やはり最初の選択の場面での効果を狙ったものだと思います。堀さんもご自身で動画を作られていて、やはり文字を入れてみたそうです。いつもと違う人が見に来てくれるとおっしゃってました。

ツイッターで「○○○○な話」として漫画が拡散しているのも、そうでしょう。タイトルの効果、キャッチフレーズの効果、そういう部分は相通じるものがありますね。

こうして、とにかくコンテンツが多くて埋もれかねないので、パッと見た初見で伝わるようにしたものが有利、という状況があり。

現状流行っている異世界転生が、作りすぎて飽きがきたとか、濃くなりすぎて新規読者が入りづらくなったとかで、衰退する可能性はありますが、ただ「○○もの」と一言でイメージを伝えることができ、暗黙の共通設定のひねりで勝負できるジャンルが、ぱっと読者に面白さを伝えられそういう状況に最適化している、という状況は続くと思われます。

そして、その逆の面が、僕を嘆かせるのです。

説明の部分は基本的に物語の負担となります。ですから、SFでもハイ・ファンタジーでも、作品によって程度の差こそあれ、暗黙の共通設定は使っています。そこを外して説明が増えれば増えるほど、そこを乗り切る腕が求められ、難易度が上がっていきます。

そして、コンテンツ産業側には、わざわざ難易度を上げるインセンティブがありません。

そんなものを作る必要がない。そんなものはいらない。売れるものだけが必要だ。こうしていろいろなものが生き残れなくなっていく。

いるとは思うんですよ、現状の偏りに危機感持つ人。僕のこの現状追認みたいな書き方に反感持つ人。実は僕だっていやだ。いやだから、問題意識があって注目していて、こんな記事を書いてる。ここまで全部前振りなんですよ。ちなみにこの前振り長くなるところが、ぱっと見で引き付けられない僕のだめなところだ。

つまりですね、この状態は嫌だしそう思う人もいるだろうけど、「物語は本来そんなものではありません」的な素敵な言葉でごまかすには、僕はおっさんで現状を見過ぎたということなのです。環境による淘汰圧がかかってるんだから、そこは変えられない。終わり。そういう嘆き。

ただこれは出版社側の話で、作家の側から見ると少し事情が違います。終わりと言ったら、本当に終わってしまうのです。ここからが、執筆者サバイバルの話です。

難易度という言葉を使ったので、じゃあ暗黙の共通設定を使ってる作品は楽してると言ってんのかと、反感を覚えた方もいるかもしれませんが、それでしたらごめんなさい。楽だとは思っていません。別の部分が難しいからです。

最初の設定説明の部分をはしょれるのは確かに楽なのですが、「みんなが知っている」ということは、ごまかしがきかず要求されるレベルが上がっているということです。「こいつ分かってる」と思われるために要求される知識は膨大、「ここでみんなの予想を外す」センスも凡庸だと勝負になりません。そして、幅が狭いところに書き手が密集することになるので、ものすごい生存競争が繰り広げられる。競争に敗れた者の屍から流れ出す血で赤く染まる、レッド・オーシャンとなるのです。

ちなみに、周りの人に「ライトノベルには行かないの?」と言われることがあるのですが、それが狭義のライトノベルだった場合、僕が何の策もなく普通に行くと多分死にますね。知識もセンスも足りてないと思う。

さらに言うと、これは他のジャンルでも起きています。結局、埋もれて広まりづらい現状でも見つけてくれる最初の読者になってくれるような人は、そのジャンルが好きなマニアの人になるわけですよ。そこの情報をいつも気にしてくれている人。だからどのジャンルでも、スタートのハードルが上がっている。

例えば僕は児童文学の方に行ったので、ハイ・ファンタジーは守備範囲になるかなあと、ちょっと読む量増やして勉強してみました。日本ではハイ・ファンタジーは児童文学扱いです。なのでトップランナーの一人である上橋菜穂子先生は、一通り読んでみたところ子供向けに書いているとは思えないのですが、児童文学作家の肩書がついています。売れるのは大人のハイ・ファンタジー好きの人が買ってくれてて、読者層が厚いから。それはそれでいいとして。

やばいなと思ったのは、要求されている知識量です。上橋先生はオリジナルの異世界を作って書いているのですが、ベースになっているのは文化人類学者として、ちゃんと博士号を取っているレベルの民俗学の知識です。

児童書だと「みんな和風ファンタジー投稿しすぎ問題」があるのですが、それで実際お仕事取るレベルの人って、やっぱりみんなすごくよく知ってるんですよね。実際に山伏修業した話を聞いたことがあります。

つまり現代では、埋もれる現状で最初の火付けをするために、よくわかっているマニアの人たちをうならせる必要があって、そこに求められるレベルはすごく高くなっている。多分この世のどこかで「あれ売れてるからさ、ああいうの書こうよ」という打ち合わせがされていると思うのですが(ゲスの勘繰り)、結局生き残るのは付け焼刃ではなくて本物の人。

なので、作家のサバイバル術としてはまず、自分が本物でいられるところに行くべき、と思うわけですよ。

ちなみに、なんでこんなシリーズ記事を書き始めたのかというと、一つはイベント後のご飯のときにたくさん興味深いお話が聞けたからですが、もう一つ、トークイベント自体で「自分のスペシャリティを生かしてニッチなところを狙うといいのでは」というお話があったからです。そこに翻訳者だけではなくて、作家もそうだよなとうなずきながら聞いていたのでした。

ただ、話はそれだけでは終わりません。「レッドオーシャン問題」が残っています。幸いにして、自分が本物でいられる場所が人気ジャンルだったとします。ところが、競争が激しいそこでは本物というだけでは足りず、本物中の本物中の本物、ぐらいのレベルじゃなくてはいけなくなっている。

そうするとですね、さらにそこから考えなくてはいけない。そのジャンルの中でも、さらに自分の優位が作れるところ。狙いがすごく細かくなります。

そして逆に、自分が本物でいられる場所がブルーオーシャンだった場合。競争相手が少ないと喜ばしいように見えますが、競争相手が少ないのは、読者が少ないからです。みんなが、狙う価値がないと思っているから、人がいない。

ここに「埋もれる問題」がまた顔を出してきます。まず前者の場合。ジャンルをさらに細分化して自分の優位を作ろうとすると、伝えなければいけない情報は、一階層深いところになります。つまり、少し見えづらいところで差別化していることになり、「パッと見で伝えられるから有利」の条件から外れてしまう。

後者の場合。読者の数が少なくても、読者個々の熱は別問題です。むしろ自分向けの作品がなく常に飢えた状態なので、自分ぴったりのものを見つけたら、末永く愛してくれそう。僕自身も読者として、そういう思い入れのある作家さんがいます。大当たりは見込めないかもしれませんが、末永く読んでもらえるなら、それはそれで作家としてはうれしい話。

ただ、やはり人数が少ないのは問題です。人口密度が低いので、情報を流してもなかなか届かないからです。

あと、自分の本物の部分が外から見えやすいか、という問題もあります。「○○もの」としてジャンルになっていればいいのですが、「こういうのが得意なんだけど、これをぱっと言い表すキャッチフレーズがないな」という状態も考えられます。

ご飯の席でも、わかりやすさの方に寄せてしまい、よさが消えるという例が話題になりました。その作家さんのヒット作は、「この絵でこのジャンル」とか、「作品全体の雰囲気」とか、そういうところがよかったのに、次作はわかりやすくその一部を取り出した「○○もの」になってた、という話。

多分、ここに書いたような「わかりやすさが必要」という打ち合わせになったんだろうなあと、胸が痛い。

コンテンツ過剰の現代では、自分が本物でいられる場所に行かなければ、生き残れない。

しかし同時に、パッと伝わりやすくなくては選んでもらうのが難しい状況なので、それが作品にも影響し形を歪ませる。でも歪んじゃうと本物には勝てないというジレンマ。

そこを何とか打破しなくては、執筆者のサバイバルは成しえない。

打破するためには、作品の方ではなく、他の部分で対応したい。埋もれてしまいそうなときに、どうやって、そういう作品を求める潜在的な読者のもとへと情報を届けるのか。ここが課題になっているのです。

そしてですね、堀さんがまさにそんな問いかけをして、話がそっちに膨らみそうで、僕が身を乗り出す思いだった時に。

隣に学生さんらしき一団がドドドッと来たんですよ。しかもすでに一軒行ってたのか出来上がってて超うるさい。仕方ない。居酒屋だから。本来そういうところだ。

で、こっちのしゃべってる声が通りづらいという状態になって、「そろそろ上がりましょうか」と話がしぼんでしまったのでした。

ここからが重要だったのにいいいいい!!!!

という思いもあって、こういう長文記事を書いたのでした。堀さん、鷹野さん、またお話する機会がありましたら、よろしくお願いします。

さて次回は、ちょうどタイムリーにこんな記事も読んだよ、というお話。

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