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2019/09/18

執筆者サバイバル・読者受け問題

イベントに行って、とても刺激を受けて帰ってきて、記事を書き始めたらどんどん長くなっていくので、そいつを分けて、さらにちゃんと推敲しようと時間を置いていて。

ちょうどそのタイミングで、こんな記事を読みました。

「読者受け」って何ですか?

monokaki掲載の創作ハウツー「おもしろいって何ですか?」の第21回。作家の王谷晶さんが、ご自身の体験を語られていて、とても読み応えのある記事でした。

ジャンルや読者の傾向など、分析を重ねて書いた作品は今ひとつセールスが上がらずに、開き直ってそういうことを考えずに書いた作品で現在のポジションを得ることができた、というお話。これはちょうど、前回までで書いた「自分が本物でいられるところで書くべきだ」のことだと、ポンと膝を打ったのです。

分析を重ねるのは、基本的に人気ジャンルで一発当てたいから、というケースが多いでしょう。ですが、そこは大勢の人達が集まっているジャンル。中には当然、本物中の本物がいて、激しい競争となっています。

本物という言い方をしていますが、要はものすごく敏感だということです。「神は細部に宿る」という言葉がありますが、作品作りもそういうものだと思うのです。そうすると、作っている最中、大量の細かい判断をし続けることになります。その時に、微妙な勘所がよく「見えて」いる状態が本物。

ですから、みんな、自分の好みに対しては、いくらでも本物になれる。いろいろ書きようがある中で、どっちが好みかに、とことんこだわっていけばいい。

ですが、これがビジネスとなると、難しくなってきます。自分の判断に大量の賛同を得なくてはいけない。本物中の本物とは、この時に、自分の好みが大勢の好みと重なる人です。自分の好みに従って判断すると、それが多くの人の好みを満たす。

逆に言えば、分析を重ねなければいけない時点で、「見えて」いないということ。目をつぶって手さぐりになるということです。分析を重ねたとしても、勘所をびしっと押さえるのは難しい。この辺りという、甘い押さえ方になってしまう。「ここ」という、ドンピシャピンポイントにはなかなか至らない。

こうして、分析してもうまくいかない、という状況が生まれるのだと思います。

ただまあ、ここで揺らぐ気持ちというのも、僕も痛いほど分かります。僕自身、好きなように書くということと受けるように書くということの間でふらふらふらふらして、書いては失敗して書いては失敗して、周りの人にまたやってると呆れられる始末。

だって受けないと、専業になって1日中続きたいだけ書くという、夢の生活がやってこないのですから。

ウケを狙ってついつい分析に頼るという誘惑は、なかなか断ちがたいものです。

セルフパブリッシングができるようになった現在でも、商業出版にピックアップされて当たるという以外の、経済的な成功のルートが見えてきませんからね。うまくいかない分析に頼るという悪魔のささやきから逃れるのは、なかなか難しい。

ちなみにmonokaki編集長の有田さんには、僕が企画したHON.jp(当時日本独立作家同盟)のセミナーにご登壇いただきました。その時のテーマがまさにこれで、「無名web作家からの脱出戦略」と銘打ち、どうやってアニメ化までこぎつけようか、というような話でした。その時参加者の方から、「アニメ化だけが成功なのか、他の道はないのか」という質問をいただきました。

その時まさに、「今のところ、他のルートは顕在化していない」というお答えをせざるを得なかった。ここが問題だと思うんですよね。

monokakiには今回紹介した記事のような、執筆者の参考になる記事がたくさん載っています。「専門のサイトが執筆者サポートの記事をどんどん載せてるなら、僕がやることなくない?」と、僕が自分で企画を立てる意義を見失ったぐらい。なのでHON.jpのセミナーはお手伝いに専念しているぐらいです。

でも一つだけ思うことがある。monokakiさんが記事に価値をつけようと考えたら、当然立場のある人、名のある人にお願いした方がいいわけです。説得力が全然違うから。そうすると、プロの作家さんとか、編集さんとか、商業出版に関わっている人になる。また実際、読者の書き手の人もデビューを夢見ているので、そういう方へ行くための話を求めてるから、これはこれで正解です。

ただ、僕が今回シリーズ記事にしたジレンマは解決していません。monokakiの中でも、それが見られます。この王谷さんの記事のように、変に読者受けを狙わず、自分らしく書きなさいということは他でも書かれている。編集者の方の記事にもそういう話が出ていました。でもそうしたらビジネス的な最適解ではない場合があるという現実があって、作家さんの座談会ではそこのすり合わせの話が出てきてしまっている。好きなように書きなさいと言いながら、それではだめなのです。

じゃあ、いったいどうしたらいいのか。

商業出版は、そこで専従の仕事として働いている人がいる以上、必ずコストがかかります。その人たちを支える読者の人口密度が求められるわけです。作家は自分が本物でいられる場所へ行かなくてはいけないということに対して、それ自体がハードルとなります。行った先の人口密度が低かった、というケースがあるからです。

つまり究極の話をすると、出版社に頼らずとも読者に届くというエコシステムを作ってこそ、執筆者のサバイバルは成しえることになる。行った先の人口密度が高い低いは、もう時の運としてあきらめるしかないので、自己顕示欲と結びついちゃっている人は救えないけれど、そういう割り切りさえできれば、生きていくことができる。その中で、ビジネス的にピックアップされたりされなかったりという形。

最近、自分に残された時間はもう少ないんだなあと痛切に感じるので、もうふらふらふらふらしてる場合じゃないと自分に言い聞かせています。何とか届くように実践していきたいと思います。

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