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2018/03/25

作家と出版社のずれ

宣伝力ない出版社についてこのあいだ記事にしたら、ちょうどそれ関連の話が。

まずはすごい危機感を持っている編集者・荻野謙太郎さんの一連のつぶやきが話題になっていました。まとめがこちらです。

僕の記事と同じ内容をあちら側から見た形。問題はこの辺の不満ですね。つぶやきを引用。

SNS普及以前と以降では、作家さんを取り巻く環境が大きく異なります。作品を大勢の人に読ませたり売ったりしたいと思った時、昔はほぼ出版社一択しか選択肢がありませんでした。ですが今はtwitterやpixivがあり、とらのあなやメロンブックスがあり、dmmやdlsiteがあり、entyやfantiaがあります。

最近の編集者は作家のフォロワー数やバズったネタのRT数を重視するという話があります。実際そういう編集もかなりの数いると思うのですが、彼らが見落としていることがあります。彼らが好むタイプの作家は「出版社の力を借りるまでもなく、自力でファンとバズったネタを既に獲得している」のです。

一方スカウトする側の出版社はどうでしょうか。マンガ誌は毎年10%に迫るペースで売上を落とし続けて底も見えません。雑誌の部数を背景にした宣伝力もいまやありません。よほど話題性があるタイトル以外はろくに宣伝予算もつかず、初週の売上で打ち切りが決められます。そこにダメ押しのマン◯村です。

「単行本は売れないし、出版社で描いても宣伝にならない」「担当は宣伝ツイートしろとうるさく言ってくるのに、公式twitterは満足に宣伝もしてくれない」「なんとか作品を盛り上げようと自前で企画を考えても、出版社の営業部がダメだと言う」「印税が安すぎて、同人誌で出した方がよほど収入になる」

作家の怨嗟の声を聞くと「商業ってなんだろう?」と思います。同人誌で出した方が収入がいいと言われ、作家自身のツイートが最大の宣伝という状況で「売れないのは実力不足。食えないのは自己責任」と言って誰が納得するでしょうか。商業出版を名乗るなら、その名に相応しい処遇があってしかるべきです

この話の根っこは、作者と出版社の感覚のずれですよね。

まず立場が変わっているのに気づいていない。

以前は、出版社が選ぶ側、作家が選ばれる側でくっきり分かれてた。

とにかく流通ルートに乗せてもらわないと世に出ることなく作家の収入はゼロだから、立場は出版社が圧倒的に強く、作家は一部の超売れっ子以外は実質下請け。だから、「持ち込んだネームを投げ捨てられた」とか「めっちゃ罵倒された」とか、そういう伝説的な話が生まれてたのです。

ところがそこに変化があった。作家に、最悪セルフパブリッシングという代替案ができました。作家も選ぶことができるようになったのです。

すると出版社は、作家にセルパブ以下と見限られたらお終いです。それが上記の引用部分なのですが。

ただ、この危機感はそんなに強く共有されていないように思います。シビアさに違いがあるんですよね。これが感覚のずれの第二点。

とにかく作家はなりたい人が多く、ものすごい競争にさらされています。かなりの能力を持っている人でさえ、なかなか成功にはたどり着けない。生きるか死ぬかがとてもシビア。

作家の渇望をきちんと肌感覚で理解できてる人は、そういないんじゃないかな。だから見限られる危機感は、そう出てこない。

例えば出版社中抜き論が出たあたりから、「編集の力で作品の質が上がっているのだ」というアピールが出るようになりましたが、僕はのんきなこと言ってるなあと思って聞いていました。

確かに他人の目が入ったほうが質は上がります。中には「この人と打ち合わせていたら、自分の中の知らなかった能力が目覚める!」という体験をさせてくれるスーパー編集さんもいます。

でも、それを表に出して売り物にする、本当の覚悟ができているのか。だってこれを言ったら当然、その能力がどれほどのものかが問題になるんですよ。本当のプロフェッショナルはその能力で儲かったり儲からなかったり、挙げ句、仕事がなくなったりするんですよ。

サッカー選手しかり、野球選手しかり、そして作家がそうであるように。

会社の看板で飯が食えているレベルの人は首になる、そういうシビアさがあって、初めて対等になるのです。

こういういくつかの感覚のずれがあって、渇望し危機感バリバリの作家の要求のシビアさを出版社側は感じ切れておらず、上記の話になっている、と思うわけですが。

この違いを乗り越えるような動きもあります。

例えば、佐渡島庸平さんのコルクとか、三木一馬さんのストレートエッジとか、エージェント会社が出てきたのはそうですね。「品質を上げる」「売る」ということを、はっきりと売り物にして提供している。

さらには最近、こんな動きもありました。講談社の新しい漫画投稿サイト「DAYS NEO」

特徴は、編集者のプロフィールで担当作品や他投稿作品へのコメントも公開されていて、担当申し込みを受けた時にそこから判断できること。「編集者の個」、個性や能力を売り物にしている、面白い試みです。

編集者はその作家の武器を理解してオファーを出し、作家は自分を伸ばしてくれそうな人と組む。これがうまくいくと、かなりの違いが出てくるのではないでしょうか。

前述のとおり、人の目が入ったほうが品質が上がるのは確かですし、スーパー編集さんに出会ったらまさに目の前に新たな地平が拓ける経験ができるので、こういう動きはどんどん進むといいのではと思います。

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