3・11から7年
東日本大震災から7年が経ちました。
いまだ復興は終わっていないとか、まだ苦しんでいる人がいるとか。
週末のJリーグの試合を見ていたら、試合前に黙祷があるんだけど、選手と一緒に並んでいるエスコートの子供たちは、生まれる前だったり、あまり記憶になかったりするんだなと思ったりとか。
考えさせられることはいろいろあるのですが。
本日はちょっと違う視点の話。
あのころ、未曾有の大災害に、日本人の考え方が変わるのではないか、という意見をよく見かけました。
当たり前にあったものがあっという間に壊れてゆく様を見て、生きていくことについてより深く考えるのではないかという趣旨でした。
7年経って振り返ってみるに、確かに、あそこで考え方が変わったなあと思います。
ただし、言われていた方向性ではなく、別の部分で。
簡単に言っちゃうと、あそこで化けの皮がはがれた人たちがいる。
普段偉そうなことを言っているのに、いざとなったら全然だめ、やってることは全然違うという人たちが、ぼろぼろと露見しました。
一番顕著なのは政治でしょう。
民主党政権の頼りなさが露見、以降自民一強の事態が続いています。政権取った直後から怪しかったのですが、あそこで確定してしまった感じ。批判のための批判しかできない奴らという評判が出来上がってしまい、以後名前を変え政党を乗り換えても全く信用されなくなっています。
メディアや、知識人と言われる人たちの中にも、そういう人がいます。
特に原発事故報道で、普段は専門ではないから当初混乱するのはしょうがないとして、ちょっと調べればわかるようなことまでわからず、いやわかろうともせず、放射能、放射能と騒いでいた人たちは、勉強する気もないし能力もない、話に耳を傾ける価値なんかない人なんだなというふうに思いました。
だって、他のこともあのレベルで、無知を口先の言葉でごまかしてるだけかもしれないわけでしょ。
まあ我ながら厳しい評価だなと思いますけれども。
言論で飯を食うということは、ハッタリかまして、すべてわかっているというポーズとり、難しい単語を使い言葉を飾って説得力を高めるというテクニックで食べてる部分があるわけで、専門外のことを専門ではないからわかりませんと白状してしまうと、その権威づけが崩れてしまいます。
「何でもは知らないわよ、知ってることだけ」という謙虚さを発揮していたら、ご飯が食べられないお仕事です。
ただ自分の無知から来る内心の恐怖を、言葉のテクニックでもっともらしく覆い隠して、現地に風評被害を垂れ流した様子に、「普段言ってる綺麗事とはずいぶん違うじゃねえか、おい?」という気分になり、それ以降その人の発言を読む気がなくなったというのは否めません。
逆にあそこでがんばった人たちは株を上げました。特に日陰者だった自衛隊は、ずいぶん評判を上げたように思います。
当時、隊員の奥さんが、災害派遣され、あまり寝れていないであろう旦那さんを気遣って「大丈夫?無理しないで」とメールで送ったら、「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ」という返事が返ってきたというエピソードがツイッターで拡散していました。あれ見た時には、本当に涙出た。
それに比べて思い起こすのは、さらに昔の話ですが、1999年。航空自衛隊の練習機が墜落して高圧電線に接触、大規模停電が起きたという事件がありました。乗員の二人が死亡していて、『ファントム無頼』の愛読者だった僕は「なんで射出座席ですぐ脱出していないんだろう? これは漫画のエピソードにあったように、住宅地に落とさないために最後まで頑張ったという話なのではないか」と思いましたがメディアは完全スルー。当時悪しざまに言うテレビの前で憤っていた記憶があります。実際そうだったみたいです。
SNSの発達で、情報の拡散経路が変わっていたことが大きいですね。
最近の日本が右傾化していると言われます。貧困格差の問題もあると思いますが、誰が信用できて誰が信用できないかという評判が、以前とはひっくり返ってしまったことが原因の一つではないでしょうか。
そう考えると、あそこで「口先だけのやつ」がばれたというのは、時代を変える出来事だったのかもしれないなと思います。
あの頃のことを思い出していて、「日本人の考え方が」の話に、ふとそんなことを考えました。
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