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2017/02/20

ノベルジャムでちょっと気になったこととガンズ活動

2/4、5と二日間に渡り行われたノベルジャム。僕は仕事のスケジュールとかち合って、一度エントリーしたものの取り下げ。結局プレゼンから観戦することになったのですが。

いやもう、それだけでも十分に、このイベントの熱を感じることができました。

その後次々と、参加者さんの参戦記がネットに上がっていて、これまた熱を感じることができます。古田さんのが連載で、さすが読ませる、面白い。続きはまだか。

本当にいいイベントだったんだなあと思います。出たかったなあ。惜しかった。一日ずれていれば。

さて、イベント本体に関しては、参加者さんのレポートが一番詳しく、有用なわけで。

参戦できなかった僕は、ちょっと別の、外からの視点で気になったことについて書こうと思います。

ちょっとアンチテーゼな話になるので、先に強調しておきますが、僕は本当にいいイベントだなあと思ったんですよ。プレゼン見ただけでも、企画立てる視点の問題とか自分が弱い部分が分かって、これ実作業もしてたら、すごい気づきがたくさんあっただろうなあと。

ただ、一つだけ、気になったことがあったのです。それは場所を移した懇親会の場で起きました。

そこでは審査員の方々が、作品一つ一つについて、講評を行っていました。

これ自体はすごくいいこと。漫画は持ち込みをすれば編集さんの意見を聞けますが、小説にはなかなかそういう場がない。作業中にも編集さんとディスカッションできて、終わった後に審査員さんの生の講評が聞けるなんて、ものすごい有用な機会です。

参加していたプロの書き手の方はともかく、アマチュアの方には本当に千載一遇のチャンス。それもすばらしいイベントだったなあと思うところです。

そして、この講評も通り一遍ではなく、とても熱が入っていた。これもまたすばらしかった。審査員の皆さんは幾度も「これだけ粒ぞろいなのはすごい」とおっしゃってといました。僕も何度も書きますが、本当にすばらしいイベントです。

引っかかったのは、それに続いた言葉です。

「編集の存在も大きい」

あれ?

何か違和感が残りました。

編集さんの力は僕も体感しています。自分の限界を引っ張りあげてもらった体験。自分にこんな力があったんだという、新たな気づき。

だから、それを否定するつもりはなくて。

なんだろうと思いながら、帰宅。

落ち着いてみて、違和感の正体が分かったので、ここに書くわけです。

「よく考えたら、それじゃ、僕の求めていたものとは違う」

AmazonがKDPを始めて証明したことは、「出版社、編集者がいなくてもヒット作は出る」ということだと思うのです。販路さえあれば、それで十分。確かにいれば質は上がるし、プロモーション力も上がるけど、それは必須条件ではなく、作者に能力があればカバーできる。テクノロジーの進化がそれを可能にしたのです。

さらに言っちゃうと、今、僕はハリー・ポッターを今更ながらに読んでたりしますが。

あの作品の有名な逸話に、「いくつもの出版社に採用されず、最後、社長の娘が面白いと言って、ようやく出版にこぎつけた」というものがあります。これ美談でもなんでもないんですよ。世の中にはローリングさんほどタフにがんばれず、何社か目でくじけてあきらめた、拾われなかった名作があるという可能性を示している。世界最高水準の出来でも、見落とすんですから。

実際、向こうでKDPのヒット作が出始めたころ読んだ記事には、「出版社が出してくれなかったからこっちで出した」という経緯がいくつも見られました。

僕がセルパブに興味を持ったポイントもそれに関連しています。自分のが見落とされた名作だと主張する気ではなく。

僕は多分、狙いどころが少しずれているのです。自ら微妙にニッチなところに行っちゃうタイプ。

でもそれを分かっても、そう簡単にうまくはいかない。好きな物を書いた時、作家は一番力が出る。判断を一番シビアに、ディテールを一番細かく書ける。でも当然、向こうは一番売れる物を書いてほしいわけで。

じゃあ自分は、人生を賭けてまで選んだ道で、書きたくないものを書いて、リスクだけ背負って生きていかなければいけないのか。でも、好きなふうに書いたら通らない。どちらに行っても地獄。

セルフパブリッシングは、そんな絶望の中で出会った一筋の光だったのです。

実際には、薄く広がるニッチなものが好きな読者層に届けるのは、プロモーション的に大問題があるわけですけれども、その困難は挑戦のしがいのある困難で、絶望ではない。ニッチでもコストを下げれば採算の合う可能性がある。それを糧にがんばれる。

こうして、「商業出版は場所に合った狙いで書いて、こぼれるやつはセルパブに流して精神の安定を保つ」という作戦になったわけで。

そこでセルパブも編集者の言うこと聞いて、という話になったら、僕にとってはとんでもない逆行です。

あと、「セルパブに編集者」は、コスト的になかなか取れない贅沢になると思います。

今の出版では、本に関わる人のうち、編集は専業、デザイナーも専業だけれど、作家は兼業だったりします。実は入ってくるお金のうち自分たちが必要な分を先に取り、不採算リスクを作家に押し付ける構造になっているのです。

夢という名の霞を食べてる作家と同じレベルでは、編集者は働けない。趣味で作家をする人は大勢いるけれど、趣味で編集する人はめったにいない。

そうすると、しっかり予算がないと頼めないことになり、でも売り上げを伸ばすのにお金を使うなら、まず先にプロの絵師に表紙をということになり……。

それが僕の感じた違和感の正体でした。

ただ、日本独立作家同盟としてはこのイベントは矛盾がない、ということも理解しています。

そもそも鷹野さんが、インディーズ出版を『伝統的な出版手法である、出版社から取次を経て書店に書籍を並べる商業出版「以外」の手段』と、最初に定義している。だから群雛も「厳密にはセルフパブリッシングじゃないんだけどねー」と笑って言ってた。

つまりインディーズ出版はセルパブよりも定義が広くて、フリーランスが集まったプロジェクト型出版もその範疇に入る。これは出版不況で業態が崩壊していく未来において、取り得る第三の道になる可能性があります。ノベルジャムが示したのはその形です。

さらに、それはとても重要になるかも知れず、だからこそ、このイベントにはとても意義があると僕が思っているということを、重ねて強調しておきます。

じゃあ、作家が一人で全部やる、もしくは全てを主導して作るセルフパブリッシングは、と言うと。

そこで気づいたのが、ガンズですよ。

雑誌作ってつくづく思うのは、形にした結果、気づくことがたくさんあるなということ。

雑誌の形を残そうと思って、人を集めて本を出した。そしたら同じ時期に出た『オルタナ』と読み比べた時に、思ってる以上に自分の好みが反映されていることに気づき、じゃあこれがこの雑誌の個性だ、この形をきちっと守らなくちゃと思った。

今回も、こういうことを考えているうちに、じゃあガンズは狭い意味でもちゃんとセルパブだなと思って。「Do myself」じゃなくて、「Do ourselves」という形。

波野さんがプロの編集で、その力にすっかり頼っているっていうのが、ちょっとずるいですけれども(^^;;) ブラッシュアップの部分は相互に行うことになっていて、作家が編集者を兼ねている。

そしたら次に考えなければいけないのは、セルフ編集能力をいかに上げていくか。他の人のを読む時もそうだし、あとは自作の推敲の質。自作推敲の質は商業出版でもずっと課題だから、がんばらないと。

次の課題が見えました。

そしてセルフ出版社的な能力も、上げていかなければいけません。プロモーションの話。これについてはいろいろ企んでいることが。

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