ピーター・パンとウェンディ
ピーター・パンとウェンディ (ジェームズ・M・バリー著 大久保寛・訳)を読みました!
ファンタジーの歴史をたどる旅をしているわけですが、前に記事にした「不思議の国のアリス」と「オズの魔法使い」とは、この本は少し毛色が違います。ちょっと陰があるのです。
ピーター・パンは最初戯曲として書かれ舞台で演じられ、その後小説の形でまとめられました。
あとがきには、英国の劇作家でノーベル文学賞受賞者のバーナード・ショーが、「うわべは子ども向けの娯楽作品に見えるが、実際は大人向けの芝居である」と評したことが書かれています。
つまり、子供に見せるだけのつもりで書かれていません。「不思議の国のアリス」と同様に、お話自体は知り合いの子供に話してあげた物がベースになっているようなのですが、根底にそういう視線の違いを感じます。
例えば人物描写がすごくシニカルです。ピーターの描写なんて、子供らしい無邪気さを書いたというより、子供の欠点をあげつらうような書き方です。
そしてラストの章は、ウェンディが大人になってしまって、もうピーターと一緒に空は飛べないという話なのですが、これは舞台では一度演じられただけ。なのに小説にはしっかり入っていて、ここに言いたい事が詰まってるんだろうなあと。
どうも、このお話は「大人にならない少年の楽しい冒険」ではなく、「大人になれない少年の悲哀」とか「幸せな子供時代のはかなさ」であるようです。どんどん取り残されちゃって、そしてその取り残された悲しみさえすぐに忘れてしまうピーターがかわいそう。
子供がそこまで深い所まで読めるかといえば、なかなか難しいのですが。
そういうちょっとした苦味が、全体の味わいを深くして、「なんか面白い」と思わせる効果はあるんじゃないでしょうか。
一口に児童文学といっても、いろんな形があるなと思いました。
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