『デジタルアーカイブ』『パブリックドメイン』がもたらす自己出版の可能性
日本独立作家同盟のセミナー、「變電社の試み ~『デジタルアーカイブ』『パブリックドメイン』がもたらす自己出版の可能性を探る」に、この間の土曜日に行ってきました。
登壇者の持田泰さんは、著作権切れでパブリックドメインとなった過去の作品を掘り起こしたりする活動をしています。
最初セミナーの告知で變電社という字面を見た時に、一瞬「変電所」が頭をよぎり、「なぜ電気関係のお仕事の人が?」とコンマ3秒ぐらい思ったのですが、「変な電子書籍を作る結社」の意味のようです。(ちなみにサイトを見たら、変電所の地図記号をもじったトップバナーだったので、僕の勘違いもあながち間違いじゃなかったw)
昔の文豪で今でも有名な人の物以外にも、当然著作権切れとなった作品はあるわけで、アーカイブを掘り起こして、その中で面白そうな物を探すのだそうです。こちらがその第一弾。
第二部はその関係で、国立国会図書館で収蔵作品のデジタル化の事業に関わっている大場利康さんも参加。マガジン航の仲俣さんと3人のトークセッション。
国会図書館がデジタルアーカイブを公開したら、昔の発禁本「エロエロ草紙」がネットで話題になり、ランキング一位を独走、現場がとまどった話とか、とても面白かったです。
それがきっかけで復刻。
ただ、そういう興味深い話を聞きながら考え込まされたのが。
そうやってデジタルアーカイブが整備され、過去の作品が目に留まりやすくなった時、青空文庫だったり、無料で読める物たくさんあるわけじゃないですか。
赤松さんのマンガ図書館Zが海賊版データを取り込んで公開を始めたら、一部物議をかもしてましたが、あれも、もう海賊版がある現実は仕方ないから広告費で我慢しようという、作品を読むのはただという流れを容認する話ですよね。
そしてちょうど、集英社の小説の雑誌コバルトが、無料のweb雑誌に移行するというニュースもあったんですよ。サイト見に行ったら赤川次郎先生の名前があって、こんな有名な人の作品でもただなんだと思ったり。
ただな物がどんどん当たり前になっていく中、お金を取るってどういうことだろう、いやむしろ、価値を認めてもらえないなら作品を書くことってどういう意味があるんだろう。
そんなことを考えたのでした。難しいですよね。
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