おもしろいものをおもしろいと思った人に
「おもしろいものを、おもしろいと思った人に届ける」ことが難しい時代に それを最短距離で届ける「電子」の試み (1/3) - ITmedia ニュース http://www.itmedia.co.jp/news/articles/ … すごく共感できる記事。
「面白い」ということは、受け手の性格も関係してくるから、読者の数だけ存在する。「一番売れる物」で全員をカバーするのは、娯楽が少なくて皆が飢えてた 時代ならともかく、今は無理。ただ、出版は薄利多売なので、今の後退戦でそういう視点が入ってきてしまうのは無理ない話。
「商業企画をもっと優先すれば」と周りに言われながら、自己出版も同時進行させてるのは、そういうことを感じているから。商業企画でもあんまり合わせてないんだけれど、そうするとやっぱりはみ出す。でも、そのはみ出た所が面白い人がいるかもしれない。そこなら自分は必要とされるかもしれない。
使う側は一番売れる物を作ればいいけど、使われる側はそればかりでは、すぐに別の人に取り替えられて捨てられちゃう。替えのきかない作家にならないと。そういう場所を探さないと。そういう点で、電子書籍でコスト下げて自分で出す自己出版は有効。
商業企画で個性を生かせるのが一番いいんだけどね。ボツ続いてるからな……。次は何とかしようと奮闘しているところ。
商業も個人も両方やると、気分転換になって、ペースダウンがあまり起きないのも利点。14/8/11
堀田さんの記事は、以前にも取り上げたことがあるはず。すごく共感できるのです。
「おもしろいと思ったものを、おもしろいと思ってくれる人に届ける」。娯楽産業に限らず、小売りというものの基本的な考え方のはずですが、現代ではこれがなかなか稀少な価値になってしまいました。
「最近は企画を出しても“おもしろいかどうか”で判断してもらえることがなくなった」という声が、作家の間では結構あったりします。
評価の基準は類書や著者の実績。つまり過去の数字。現場の編集者は「これおもしろいですね!」と言ってくれたとしても、会議で評価されるのは、 やっぱり数字(もっとも、編集者のテクニックとして内心つまんないなと思った原稿を「いやーおもしろいですけど、残念ながらこの分野はマーケットが小さい んですよね」とか、角が立たないように言ってくれているケースも多いでしょうが)。
(中略)
FacebookやInstagramに投資したことで知られる米投資大手Greylock Partnersでは、投資案件を分析したところ、大成功した企画はなんとプレゼンで意見が分かれたものが主だったそうです。
ちなみに故・石ノ森章太郎さんは、偉大な作家のセンスとしてすでにこのことを知っていて、アシスタントたちに見せて「なんですかこりゃ」と言われるようなアイディアほど「これは行ける!」と判断していたと言います。
余談ですが、永井豪さんも、「デビルマン」のキャラクター画を見せたところ、東映の人に「いいですね! で、主人公はいつ描くのですか?」と言われたそうです。敵キャラだと思われたわけですね。
過去の数字でリスク回避を図っていても、それは縮小再生産へと至る道。その道を歩むうちに「本ってつまんないものだ」という感覚が世の中に出てきてしまうのではないでしょうか。これは別に悲観論でもなんでもなく、テレビではすでに今まさに言われていることです。
この辺なんか、ずーっと思っていることなので、やっぱりそういう例があるんだよねと膝を打ちました。
ただ、状況がそういう「おもしろいと思った物に賭ける」という理想を許すかというと、まあ無理だなあと思うので。
それを書きたいという動機を持っている本人が、リスクを取るしかない。そういう気持ちの受け皿として、自己出版があるのはいいこと。
商業出版でも、本当は個性を出していった方がいいのです。個性を殺して一番売れる形にしても、うまくいくのはせいぜい一度。より向いてる別の誰かに替えられちゃうから。
頭の中のイメージをもれなく伝わるレベルで表現するというのは、結構難しいことなのですが、でもそれがちゃんと出来たら、おもしろいと思ってくれる人はいるはずだ。
そしてそれが出来たら、世の中に必要とされる、小さくても替えのきかない作家になれるはず。がんばらねば。
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