先週の雑感記 荻原規子特集とジャンル考察
さて、今週のお知らせは。
COMITIA104に参加します。5/5(日)11:00~16:00。有明・東京ビッグサイト東4・5・6ホール。「や03b かってに応援団」です。
その作業してたんだけど、なんか進みが悪くて大変だった。なぜだろう。漫画と小説の間を行ったり来たりで、ブランクができちゃうからかなあ(^^;;)
しかも設定間違えて、三日分ぐらいの作業をパーにしましたよ。
そんな苦労をしましたが、なんとかかんとか新刊は出ます。御来場の方はお立ち寄りくださいませ。
さて、先週は思うところがあってこんな本を読んでみたり。
荻原規子特集。
ユリイカ2013年4月号。荻原規子特集。「RDG レッドデータガール」がアニメになったんですよね。4月から放送。
普段、評論とかあまり読まない人なのですが。
ここでもちょこちょこ書いてますけど、とにかくこっちの世界がどうなってるのかが見当ついていないので、自分が読んだ物が他の人にはどう評価されてるのかが、その理解の手がかりになればと思って。
妙に気にしてるなあと思われるかもしれませんが、こういうジャンルの中のコンセンサス、目に見えない暗黙の同意、そういうものでしょ的な空気。作る側も読む側もその文脈の中にいるので、外すと結構厄介なのですよ。さんざん苦労したからねえ(^^;;)
というわけで、読んでみました。
批評の論点や基準点から、ファンタジーとはどういうものとされているのか、ちょっと見えた気がします。ひるがえって、あの辺の作品がどうあるべきと思われているのかも。
ハイファンタジーというジャンル名がよく出てきます。つづりを調べたらやっぱりhighだったので、この辺もキモですよね。何で「ハード(hard)SF」なのかと似た感覚。
そうして、ふむふむと思いながら読んでいくと。
そうそうこれこれ、という記事に出会いました。越境する巫女:『RDG』 ライトノベルの「外から内へ」 山中智省。
アニメの企画と合わせて、「RDG」スニーカー文庫版が出ているのです。表紙を替えて。
果たしてこの本はライトノベルだろうか、というところからこの記事は始まっています。
まず、荻原先生はライトノベル作家とされることもあるけれど、発言なんかを考えるとちょっと違う。
最初に「RDG」が出た「銀のさじ」というレーベルは、児童文学作家からゲーム関係の人まで取り揃え、子供から大人まで読めることを標榜していて、児童書・ライトノベル・一般文芸をつないでいる。
今まで、ライトノベルでデビューして一般文芸へという「内から外へ」のパターンは数多くあったが、最近この本のように、ライトノベルの「外から内へ」というパターンも出てきた。ジャンルのボーダーレス化がうまれ、様々な可能性がありそうで興味深い。
だいたいこんな趣旨でした。
で、僕は作家で立場が逆側なので、興味深いというよりは、まさにこれで苦労してるんだよねーという感想なのです。
そもそもこのジャンル分けがね。上に書いたように、もうみんなに擦りこまれてる文脈がある。
例えばこの表紙を替えるというのもそうですよね。一般向けだと漫画絵じゃなくて、ライトノベルだと漫画絵になる。なぜそうしなきゃいけないのか。替える必要があるのか。
でもぱっと見、普通そうでしょとみんな思う。作る方も、文芸書が漫画絵じゃ手に取られないかもと思い、ライトノベルは漫画絵じゃないと手に取られないかもと思う。角川文庫版は、元のままです。
そういうような言葉では定義できない「空気」がいろんなところにたくさんあって、ジャンルを形作ってる。そしてそれはどんどん強化されていく。
けれど、読む時に重要なのは、まず面白いかどうかです。本来そんな枠は二の次で、面白ければいいのです。
だから越境が起きるんだけど、逆に「空気を読まない」というリスクを取って毛色の違うものを作るという冒険できないから、実績のある物を越境させてるのだとも言えて。
それぐらいみんなを縛る物になっちゃってるから、こことどう付き合うかが、大問題なわけですよ。
作品は空気を読まずに、でも提出する所は空気を読んで選ぶというのが、一番効率がいいと思うので、まだまだ研究中なのです。
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