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2012/02/05

雑感記続き 個性とロングテールとミドルメディア

書いてたら話が膨らんで長くなってしまったので、昨日の雑感記は途中でまとめたのです。今日は続き。

僕の話と、ナベ先生とか他の人の話。

まず僕の場合。

何でトンネルを両側から掘るのか、という話。

今出版業はほんとに変化していて、それはどちらかと言えばマイナスの方向。救われるとしたら電子書籍かという状態ですが。

その中で僕が書き手として気にしてる変化は、本のコモディティ化なのです。

コモディティcommodityとは、商品とか大量生産品、日用品、という意味の英語です。コモディティ化はそこから転じて、スーパーの棚に並んでいる日用品のように機能や品質にはそんなに差がなく、どれを選んでも同じかなと消費者が思ってる状態。価格競争になったりします。

今よく話題になるのが、テレビです。放送が映るという基本的な性能ではそんなに差がないので、メーカーが薦める多機能などの付加価値より安さが優先され、どんどん値崩れしていく。32型がもう二万円台だって。

漫画の場合は、日本では再販制があるので、安売り競争にはなりませんが。

代わりに漫画を読むのに払う労力を省く傾向があるような気がします。

例えばワンピースは史上空前の売れ行きで、ドラゴンボールを上回ってるのではないかという状態ですが、ジャンプの他の漫画の売れ行きは、ドラゴンボール連載当時と比べると落ちています。

ジャンプ自体の部数が落ちいてることも考えると、雑誌を買って隅々まで読んで、この漫画も好きあの漫画も好きと探す人が減り、話題のワンピースだけ単行本で買っとけばいいや、それで十分面白いし、という人が増えていると言えます。

なにしろジャンプの全盛期は、ジャンプ自体がドラゴンボールの三倍近く売れていたのですから。

一番売れてる作品の部数がその作品が載ってる雑誌の部数を上回ってるという状態は、今はそこらじゅうで見られます。

雑誌が売れてくれないと新しい作品にお客さんの目が行かない、というのは、編集さんの悩みでもあるようです。

これの原因の一つじゃないかと考えられる、僕の読む方の感想として、前述のコモディティ化、みんな狙いどころが似てしまっていて、量産品になっちゃってるんじゃないかなあというのがあるのです。

他のを見たら違うものが見られるという、期待感が少ないのではないか。

そこに今は他にいろいろ見れるものがあるから忙しくて労力を払う気が今ひとつ起きず、雑誌をたくさんチェックして面白い漫画を探すなんてことは、よほどの漫画好きじゃないとしない、という現象が重なってるのではないか。そんな気がします。

まあ確かに、ジャンプを読んではいるけれど、楽しみにしているのが、「SKET DANCE」「ST&RS」「鏡の国の針栖川」という、え、アクションものは? という僕は、極端すぎると思うのですが(^^;;)

でもやはり、コモディティ化は避けたい。「代わりはいるもの」はつらすぎる。

しかし、狙いどころが似てくるのは、数字にそこが受けると現れているからです。数字はうそをつかない。僕は科学の子なので、それも信じてる。

このジレンマを、どう考えたらいいのか。

ここで一つ考えるのが、ロングテールです。一見あまり売れないものが、まとまると大きな売り上げになるという考え方。

売り上げで一位のものからずらっと並べたグラフを書くと、尻尾みたいに細く長い部分ができるので名付けられました。

例えばアマゾンのようなネット書店では、普通の本屋ならあまり売れないから返本しちゃうような小部数の本が、ちりも積もれば山となるでけっこうな売り上げになっています。

本は生鮮食品と違って腐らないので、置いとく場所さえあればそういう売り方もできる。この考え方はリアル書店でも取り入れられ、品揃えを重視した大型書店が増えました。

つまり、需要にもロングテールがあって、ここから先はいきなり需要がゼロになるということではなく、一見売れない狙いどころにもそれが好きなお客さんがいて、ビジネスモデルの工夫次第では商売になるはずです。

そうすると、全体的にも売り上げが増えていく。

そして、もう一つ考えているのが、ミドルメディアという発想。

マスメディアよりもう一回り小さいところで成立しているメディアのことです。

ロングテールとも似ているのですが、マスメディアはとにかく大衆に向けて一番ポピュラーなところを押さえようとするのに対し、小さくても濃いどころの人が集まるクラスターを押さえちゃう。

情報が増えていく中では、より自分に合った、欲しいものがあるところに人が集まっていき、まとまった大衆じゃなくて、中規模、小規模の集団になっていくのではないかという考え方です。

つまり、今は情報技術が進んで行ってるので、ビジネスモデルを変えれば、今までとは違うところに活路を見出せるのではないか。

今の雑誌の形態がマスメディア的だと考えれば、ある作品を核にしてそれが好きな人が集まり、他の核となる作品と緩やかにつながるという形もあるのではないか。

今でも友達同士ではあることだと思うのですが、これが好きならあれはどう? みたいなつながりが発達してったら、マスど真ん中以外の作品たちも、また活気を取り戻せるのではないか。

多分一番マスなところは、普通に残るんだと思うんですよ。でも、他じゃもう食えないからとそこに無理に集まっちゃってる人は、自分の首を締めてるわけで、だったら新時代の可能性に賭けたらいいんじゃないかなーと思うのです。

でも、それがどこだかは分からないので。

だいたい僕の個性にどれぐらいの需要があるのかもよく分かってないし。

腕の問題もあるし。

なので、まず右からは、従来のやり方の中で、とにかくここは使えるはずという、僕の切り売りをしてみて。そこから他はどうなのかなと手探りを始め。

左からは、逆にもっともっと個性を探って、これは自分しか描かないという場所から、掘り始めて。

どこか真ん中でつながって、ミドルメディアな感じのところに行けるんじゃないかなと。そんな作戦なのです。

そしてナベ先生とか他の人の話。

ミドルメディア的な話で言うと。

今朝ナベ先生の電話で起こされたのです。コミスタの機能を教えてくれという電話。

セリフ打ちでした。商業誌だと、それは自分ではやりませんからね。

ナベ先生の場合は、ここに渡辺道明のファンがいるという狙いどころは分かっているわけです。

ただ、ナベ先生の作風はよく言えば個性的、違う言い方をしたらすごく癖が強いので。マスな視点からすると矯正しなくちゃということになりがち。

山好きなナベ先生のために例えるなら、まっすぐ伸びて木材(まさに商品)にしやすい杉の木みたいなものではなく、地を這うハイマツみたいなぐにゃぐにゃ絡み合う複雑な個性なので、これを無理矢理まっすぐにしようとすると、「折れちゃう!」ということに。そばで見ていて、そんな感想。

僕の回りには、そういうタイプの人が他にもいるのです。

そういう人たちと普段よくしゃべってて、どういう話をしてる時にこっちの思いもよらないアイディアが出るかというのは分かってるわけで。

この辺の発想では絶対この人に勝てないなという実感があって。

そういう個性が生かされた方が、きっと面白いもの、代わりのきかない物になるはずだから、みんながそういうのを描ける様な状況になったらいいなあと、思うこのごろ。

まずナベ先生がミドルメディア的な立ち位置をこの企画で作れるのかなあというのは、けっこう注目なのです。

他にも打ち切られちゃった漫画を読んでて、ああ、この人がもっとこっちの方に行ったら、僕は次もきっと応援して本も買うなーと思うことがあるのですが。

その人の次の連載が、ずっとマス寄りに矯正されてて、でもそれだと最初に僕が好きだと感じた、ほんのり良かったところが消えてしまってて悲しくなったり。

今生き延びるためには確かにそうだと、現場にいるから理解はできるんだけど、でもそれでもやっぱりしょんぼり。

そもそも作品は商品じゃない。そんな僕の人生の中で取替えがきくようなものを買い集めて、本棚にそろえない。コモディティ化なんて、冗談じゃない。

そう信じているので、そっちとは逆の方に進化して欲しいなあと願っているのです。

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