今週の雑感記 21世紀の創作活動に必要な資質 そして失われるもの
友人が、ニコニコ動画で楽しみにしていたコンテンツが、手厳しいコメントに製作者の心が折れて続かなくなってしまったと嘆いていた。
今はそういう時代だから仕方ないよと慰めておいた。
ネットが普及して誰もがコンテンツを発表できるようになった代わりに、批評も簡単に出来るようになった。
そして、それが簡単に本人の目に触れる。
もともと物を発表したら、見た人に批評されるのは覚悟してないといけないのだが、ネット以前はその声は容易に届かなかった。だから作者はそんなにたくさんの批評にさらされずにすんでいた。
しかもネット上の批評は辛辣だ。
本気でけんか売ってる場合もあるだろうが、本人が画面の向こうにいる可能性を失念しているケースが多いんだと思う。誰とでもつながるはずなのに、そういう実感が持てず、虚空に向かって独り言を言っている感覚。
かくいう僕もそうで。
漫画のためにレイソルに取材に行った時。広報横井さんに「ブログ読みましたよ」と言われて心底びっくりした。
考えてみれば、レイソルについて書いてるんだから、関係者の目に止まることはありえる話なのだ。
でもその可能性は僕の念頭にはなく、青天の霹靂。
あとで「よかった、ブログのコンセプトを応援団にしといて」とほっとした。調子こいて上から目線で、「だめだ○○は。使えねー!」とか書いていたら、ダメージは計り知れなかった。だって広報の人が読んでいるんだ。下手すりゃ本人が見ちゃうかもしれない。
そりゃ試合で負ければ、くだも巻く。嘆いた勢いあまって、きつい言葉を使うこともある。
でも、それをほんとに本人に伝えたいかというと、そうではないのだ。だってそんなこと言いながら好きなんだから。
同様に、巷にあふれる批評の中には、相手が画面の向こうにいることをイメージできずに、勢いあまってほんとに思ってるよりきつい表現になってしまっていているものが、結構含まれているのではないか。
もともと批評は斬る人より斬られる人の方が深刻に受け取る。そこに勢いあまった言葉の刃が届く。しかもたくさん。
以前よりクリエイターの心が折れやすい環境になっていると思う。
で、漫画のことを考えながら、そこでもくじけないタフな心がこれからは必須なんだろうなあと考えたのだが。
それと同時に。
失われやすいものもあるなと。
物事は何でも裏表があって、何を言われても動じないタフな人を別の言い方で言えば、「心臓に毛が生えた人」だ。もともとがさつっぽい感じ。
心折れる弱い人は、逆に繊細で優しい人かもしれない。まっすぐで純粋な人かもしれない。
もちろんタフで繊細、自分に厳しく人に優しい、泥をすすって生きながら純粋な心を持ち続ける、という両立してる人もいるだろうけど。どっちかと言うと少ないのでは。
これが単にビジネスの問題だったら、ものさしは売り上げの大小だ。タフな人がゴリゴリ稼いでいればいい。
でも、物語って、いろいろ種類があるじゃないか。
繊細で優しい人、まっすぐで純粋な人じゃないと出せない味わいもあるのだ。
ただでさえ持ち込んでいる時に、現実の厳しさを編集さんに叩き込まれ、折れたり枯れたりしやすいのに。
そこにさらに圧力がかかるとしたら。
友人が応援していたそのコンテンツも、素朴な感じがよかったんだって。仕方ないよと慰めてはみたけれど、そういう味わいのものが減ってく時代になったらやだなあ、と思ったのでした。
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