今週の雑感記 誰でも読めることの是非
僕には、みんなに分からない物を描くのは恥ずかしい、という感覚があります。
誰でも読めるように描くのがプロでしょう? という感覚。
で、この間手伝い先の仕事場で話していたんですけど、どうもこの感覚は世代によって違うみたいなのです。
僕と同じ年か、上の人にはこのことを話すと共感してもらえる場合が多いようなんですが、下の人に話すと、はて? という顔をされる。
例えばパロディ入れちゃうと元ネタ分かんない人はさっぱり楽しめないし、説明省いちゃうと詳しくない人はついて来れない。僕にはそういうシーンは、すごい取り扱い注意なのですが。
分かる人だけ分かればいいんでは? という人が、年齢が下がるほど増える感じ。
考えてみたら、これには幼少期の刷り込みがありそうです。
僕が子供の頃にはいわゆるメジャー誌がほとんどだった。売れる雑誌、売れない雑誌はあったけど、描き方としては同じ。漫画好きな人向けなマイナー誌が出始めたのは、ちょっと大きくなってから。
漫画好きな人向けになると、当然知ってるはずだからパロディありになるし、漫画慣れしてるから逐一説明入れなくてもいいし。
僕にはそういう漫画は今まで見たことない特殊な漫画だったから、その手法も特殊だという認識なんだけど。
子供の時からそういう漫画があって、そういうのを普通に読んでれば、特別だという感覚もないだろうなと。
そういうところで世代ギャップが生まれているような気がします。
僕も頭では了解しています。読んでる人が楽しければいいわけだから、硬く考える必要はなくて。
実際最近ではメジャー少年週刊誌でも、誰にでも分かる初心者に親切な描き方ばかりではなくなっています。
例えば今週の週刊少年マガジン「あひるの空」で。
シュートを決めるかっこいいシーン。上手いなーと思うのですが、赤で囲った所。
次のページで相手チームの監督が説明しています。
「フェイクはあったよ。ヒザをね、ちょっとだけ外に振ったんだ。あれでDFからシュートという選択肢が外された。おそらく太郎じゃなきゃ引っかからんかったろう」
「あひるの空」は好きで毎週読んでます。
ただ、通向けのバスケ漫画だなーと思うんですよね。僕はサッカー、野球は子供の頃からやったり見たりしていてわりと詳しい方だと思うのですが、バスケ知識は体育止まり。
すると、読んでてたまに何が起きたのか分からなくて、置いてかれちゃう時がある。ここもそうで、後になって、ああ、と。
じゃあ、これを初心者向けにする場合。
ページがずれちゃうんだけど、まずもっと大きな絵にして。
ひざの動きに擬音をつけてベタフラか何かをして、今重要な事が起きましたよ、というアピールをして。
太郎君の心の内のセリフとして、「カットイン? シュートない!」みたいな引っかかりましたよーという説明台詞をつけちゃう。
多分他のコマもそれに合わせたリズムになるとして。すると誰にでも分かりやすくなると思うのですが。
反面。さりげなくフェイクを入れたよ、というかっこよさはなくなっちゃう。虚を突くリアルなリズム感も。
そこは通にはしびれる所ですよね。なくなると困る。
バスケはよく分かんないけど、サッカーだと、この間TVで川崎Fの中村憲剛選手が、周りを走る味方をおとりに使ってさりげなくスルーパスを通す場面を見て、かっこいいーと思ってた自分がいるわけですよ。
刷り込みがあるせいで、分かりやすく描きたい衝動がある。対して、通なシーンがかっこいいと思う自分もいる。
どっちが正しいという簡単な問題じゃなくて、雑誌の傾向とか読者層とか、誰に向かって描きたいかとか、そういう事をいろいろ考えながら表現を絞り込んでいかなきゃいけない。
漫画ってやっぱり大変だよなーと改めて痛感するこのごろなのです。
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