早すぎる死
昨日、レイソルの記事を書いた後、仕事に戻る前にニュースでもとトップページに戻ったら。
三沢さんの訃報を知った。
しばらく倒れこんで、動けなかった。
信じられなかった。
信じたくなかった。
僕は子供の頃、両親が見せたくなかったのか、プロレスを見ていない。僕の年代のプロレスファンなら当然見ているはずの、初代タイガーマスクを噂でしか知らなかった。
高校生になりなんとなく見るようになったプロレスには、タイガーマスクがいたけれど、子供の時に友達から聞いていたほど強くなかった。
中の人が別人の、二代目なのだと後で知った。
なんとなく見ていたプロレスだから、特にどこが好きという事もなくて、全日も新日も、その頃やっていた世界のプロレスも、まんべんなく見ていた。
それががらっと変わってしまったのは、あの日からだ。
タイガーマスクが、三沢光晴に戻った日。
試合中、タッグパートナーの川田利明に指示してひもをほどいて、自らマスクを取った。マスクの下から現れた素顔が、アニメと違って二枚目じゃなくて、ちょっと肩透かしな気分になったことを覚えている。
素顔は少し三枚目だった三沢光晴は、でも、しびれるほどにかっこよかった。
体格も違う、キャリアも違う格上のレスラーに、倒されても倒されても立ち向かっていくその姿。
無理だろうという状況の中、予想を覆して勝利を奪い取る精神力。
僕はあっという間に、魂をわしづかみにされてしまった。
三沢光晴を筆頭に決起した若手レスラー達の踏ん張りは、やがて四天王プロレスと呼ばれた耐久力の限りを尽くすタフマッチへと、日本のプロレスを変えていった。そのがんばる姿は崇高にさえ思え、僕はプロレスが大好きになった。
がんばっている姿が好きで、がんばっている人を応援してプロレスを見ていたから、好きなプロレスラーはどんどん増えていった。
でもそんな中でも「三沢さん」は別格だった。
どちらも好きなレスラーで、試合前はどっちもがんばれと応援していても、やっぱり最後は三沢光晴が勝たないと嫌だった。
けれど寄る年波には人は勝てない。最近はさすがにちょっと落ちてきてるかなと思っていた。
でもそうしたら三沢さんは、師匠のジャイアント馬場さんがそうしたように、最前線を後進に譲って、自分は楽しいプロレスをするんだろうなと思っていた。
いや、試合中は表情を崩さないけど、天狗のお面ではっちゃける三沢さんは、そういうプロレスは絶対に好きなはずだと思っていた。
そしておじいさんになるまでプロレス続けて、還暦のお祝いにリング上で赤いちゃんちゃんこプレゼントされて、恥ずかしそうにはにかみながら着るんだぜ、と思っていたんだ!
今でも信じられない。
信じたくない。
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