今週の雑感記 あだち力&NO.6 #2 #3
今年の手賀沼花火大会、不況でスポンサーが集まらなくて中止だそうですね。
実家が手賀沼のすぐそばで、二階の窓から見える、とても馴染みの花火大会なんですが。
景気は底を打ったと政府発表がありましたが、さっぱり実感ないですね……。
仕事中コンビニに行く時よく買うのが、新発売の飲料。作業ばっかりで代わり映えしない日常にちょっとした変化を。
今週はペプシしそ味。コーラカテキン入りとどちらがましか(笑)。
○ 出版不況は日本だけ?
日経ビジネスONLINEの「大日本印刷がブックオフに出資した理由」という記事を読んでいたら。
外国では出版不況どころか、ちゃんと成長しているというデータが出てました。びっくり。
新聞の不況のニュースは聞いていたから、書籍も同様なんだろうと思ってたんですが。
日本は2002年から2007年で一割減だけど、米独英は5%~15%増だったようで。
出版不況の原因には、まず第一にネットの発達によるライフスタイルの変化があって、それは時代の流れだから避けようがないと思ってたんだけど、そうでもないってこと?
仕方ないとか言ってちゃいけないんだ。がんばらないと。
○ あだち力
単につまらないから売れてないのかもしれない、となると、がんばらなきゃいけないのはこういう所ではないかと思うのです。
このあいだの仕事中、漫画の話をしていて出てきたキーワード。
あだち充先生の漫画はすんなり読みやすい。ついつい読んでしまう。そういう読みやすさを生み出すネームの力を指して言った言葉。
ちなみに漫画家なら誰でも知ってる業界用語、というわけではないです。その場で作った造語だから。
漫画はネタや演出の派手さや凝り具合を競う方向へ走っているけれど、大勢の人に読んでもらいたいなら、すんなり読めることも重要だよね、という話をしていたのでした。
漫画を読む気マンマンの人だけが読者ではなく。軽い興味で手に取った人は、読みづらくて読むのに努力が必要だと、めんどくさいから本を置いてしまう。山場にすごいシーンを用意していても、途中で投げられちゃったら無力なわけで。
あまりこの力が表立って問われることはないけれども、実は大切なことだと思います。
自分もそういう力がほしいです。
○ NO.6 #2 #3 (あさのあつこ YA!ENTERTAINMENT)
NO.6を追われ、西ブロックに逃げてきた紫苑は、ネズミの家に居候していた。完全に管理された都市NO.6に暮らしていた紫苑にとって、西ブロックの喧騒と無秩序は驚くべきものだった。
母から渡されたメモを元に、紫苑は昔母の知り合いだった男の元をたずねる。元記者だったというその男から、母の昔の話を少し聞く。そしてそこにあった一枚の写真に写る男。NO.6に漂う、陰謀の臭い……。
短いよ!
版形はでかいのに、ジュブナイルだから、字もでかい。すいすい読んで、すぐ終わっちゃう。
しかも気になるところでto be continuedですよ。
いや、すいすい読めるのも、終わっちゃってえーっとなるのも、面白いからなんですけどね。くそう、続きを読まねば。
そう言えば、上記のあだち力、漫画ではなく小説だけど、この本にもがっちり備わっていると思います。すいすい頭に入ってくる読みやすさ。もしかしたら絵でカバーできない分、小説の方がそういう力が重要なのかもしれません。
ということで3巻。
紫苑を慕う幼馴染の少女沙布(さふ)が何者かの手によってさらわれたという、紫苑の母火藍(からん)からのメモを、ネズミは紫苑に見せていなかった。ただ、黙ったまま無視することもできず、ネズミは沙布が連れて行かれたと思われる矯正施設の情報を集めていた。
一方、何も知らされずに西ブロックの日々の暮らしに慣れようと努力していた紫苑は、ふとしたことから見覚えのあるコートを見つける。それは矯正施設からの流出品。沙布が祖母からの贈り物だと言っていた、ブルーグレーのハーフコート……。
読んでてすぐ終わっちゃうと感じるのは、もう一つ理由があって。
エピソードがあまり進んでいないから。
それについてあさの先生があとがきで触れています。ちょっと長いけど引用。
実は#3に着手する前、編集担当の山影好克さんには、「今度はいよいよ、矯正施設に乗り込みます。アクションです、アクション」なんて豪語しておりました。この時点で、嘘やはったりを言ったわけではないのです。本気でした。文章で心が躍るようなアクションシーンを表現してみたいという野心が、「NO.6」という物語を書こうとした動機の一つでもありましたから。しかし、いざ#3の世界に入り込み、紫苑やネズミの傍らで生きてみると、そう簡単に矯正施設に乗り込んで、派手に動いてお仕舞いというわけには、いかなくなったのです。
なぜ闘うのか、なぜ愛するのか、なぜ憎むのか、なぜ殺すのか……彼らの心に添うて、彼らの心と共に揺れて、考え悩み嘆息を繰り返しているうちに、枚数がつきました。派手な展開も謎解きもなく、季節さえほとんど移ろわず、これからというところで断つように終わってしまいました。わたしは、自他ともに認める言い訳がましい人間ですが、「なんだよ、これ」という読者の方の非難叱責については、今回一言の言い訳もできないと覚悟しています。
けれど、矯正施設に侵入すれば彼らは闘わなければなりません。他人の血を流すことの、あるいは彼らの血が流されることの可能性は極めて高いのです。もし、誰かを殺さねばならないとしたら、もし彼らのうちの一人が殺されたら、紫苑たちは変わらずにはいられないでしょう。外面でなく、その若い魂の内が急激な変容をとげざるをえないはずです。その事実をどう受け止め、どう書くか、私は思いあぐね、その答えを探りながら、#3を書き続けました。
なんで自分がこの人の小説を面白いと思って読んでいるのか、これを読んでその理由の一つが分かりました。
ビジネスとして考えた時、正直言うと、こういう事は短期的な売り上げには貢献しないと思います。特に少年少女向けではそう。瞬発力がない。こういう事より、刺激的な事とか、ドラマティックな事を書いた方が、反応はいいでしょう。
昔はすごい抵抗したんだけど、最近はそれが真実だなと思えるようになりました。でも。
そういう考え方で人の心を打つだろうか。
それの答えは今でもNoです。
カタカナ英語のエンターテインメントは娯楽作品やイベントの意味で、難しいこととかめんどくさいことははしょって受けのいいこと書こうよ、という時に言われちゃうけれど。
entertainはそもそも「もてなす」という意味で、そこから転じてentertainmentが演し物の意味を持つようになった。そう考えたら、おもてなしには真心込めたいじゃないですか。エンターテインメント作品だとしても。
とことんやって娯楽になっちゃう人はそう書けばいいし、とことん考えたら真面目な方に行っちゃう人はそう書けばいい。そうしておけば読者はいろんなタイプの人がいるんだから、自分に合う好きな物を選べば、深くたっぷり楽しめて満腹。それでご飯が食べられれば、それが理想だなと思います。
という事で、あさの先生が一生懸命悩んで書いた結果。
紫苑やネズミが、張り詰めた楽器の弦のようにいつか切れてしまいそうな、どこか危うさを感じさせる繊細な少年像になっていて。女の子向けなとこあるなと思いつつ、この手触りはどこかで読んだなと。
竹宮惠子先生や萩尾望都先生の描くSFだと気付きました。なるほど、好きで買っている。気持ちをしっかり描くことで生まれる情緒感。
さらに、よく出てくる芯のある女の子が好きなんですよね。沙布もそうだ。沙布どうなっちゃうんだろう。
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