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2005/12/21

春の訪れ

ペリーヌ物語、53話目、最終話。今朝だったのです。

姉歯氏証人喚問により、放送予定が一日ずれて、録り逃すかと思いました。ふう、危ない危ない。

物語のクライマックス、49話、「幸せの涙が流れる時」の日は、仕事も佳境。ボロボロの体を引きずりながら起きだして、朝飯でも食うべかな、と思ってた時、ちょうど始まるところで。

そのまま食べながら見てました。そして、いつもと同じ所で、同じように、泣いてました(笑)。

これは凄いことなのです。だって、もう何回目だろう、これ見るの。それでもやっぱり泣ける。

名作シリーズは、よくいろいろなところで再放送しているので、大人になってから見る機会も多いのですが。非常に考えさせられますね。

当時のオイラは小学校低学年。合体ロボに憧れて、(多分)子供の躾のことを考えて、安易におもちゃを買い与えない親を避け、初孫に甘いおばあちゃんにおねだりして、超合金を買いあさる、あくどい子供でございました(笑)。

当時TVアニメは、子供向けSFアクション物が全盛期。ゴールデンタイムにもばんばん流れています。そんな中、名作シリーズなんて、企画だけ見たら、絶対不利。地味だもの。

それでも、見てたんですよね。

そして現在。前々からこの現象については考えさせられるものがあったんだけど、ますます重要になってきています。

だってまさに、今自分が、あの時ロボが合体しているだけで、心ときめいていた、そんな年頃の子供に向かって、漫画を描いているからです。

何度も何度も泣けるのは、感情移入のさせ方が上手いから。

子供にこんな地味な話を飽きさせず見せることに成功しているのは、例えばペリーヌだったらバロン、母をたずねて三千里だったらアメデオなんかが、ちょこまか動いてて、何をするのか分からない状況を作っていたりするから。

さらには目立たないけど、元々興味を引きやすい動物キャラだけじゃなくて、人間のキャラクターでも、動きをしっかり追っている。それも、ただ事細かに描いているというだけではなくて、動作演技から心のうちが伝わるように。

要するに細やかな演出の勝利なのです。

元々人間には本能的に感情移入する能力が備わっています。ちっちゃい赤ちゃんに笑いかけると、にっこり笑い返してくれるのは、その力が幼い頃から働いているためだそうです。他の子が泣いていると、つられて泣き出しちゃうとかね。

楽しそうとか、かわいそうとかいう雰囲気を感じる能力は、小さい頃から持っていて、そこを上手く刺激してやれば、読者の感情のアップダウンをコントロールできる……そういう演出。

巨大ロボのような派手なギミック、トリックで耳目を集める手法は、その後発達して現在のマニア向けアニメにたどり着き、一見地味で不利と思われる、このような丁寧で細やかな演出法は、と言うと。

日アニから独立して、ジブリへ。不利に見えて、大成功。

ただしその影に、細やかさを極められなくて、失敗した作品が多数あるので、そうならないように注意が必要。

オイラの漫画はちょうど今、大会へ向けて動き出しているところだから、このままバンバン試合を続ければ、ある程度のテンションはキープできるわけですけれども。

それだとそのうち試合展開でネタ切れして、エスカレートさせるしかなくなり、とんでも漫画になってお終い、という運命をたどってしまう可能性大。

そういう一過性の楽しみ方でも、その時お客さんを満足させれば、使命は果たしたとも言えますが。

なんか自分の漫画が、飽きられて捨てられてしまう姿を想像すると……。

自分が性格的に、本が捨てられない性質だから、なんともやりきれない。

ジャガーが堂々としゃべってるような、子供向けの漫画ですが、出来れば、「オレももう大人だし、この漫画はもういいかな」と思った時、捨てる前に読み返して、「結構楽しめるから、ちょっと取っておこう」と思ってもらえるような、そんな描き方がしたいなあと思うのです。

そのためには、こういう細やかさも取り入れて、派手展開でビックリさせて引っ張るだけじゃなくて、ケッタくんの頑張りに読者が感情移入して、手に汗握るように描きたいな、と。

そういう理想に向かって、今日も研究中。

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