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2005/11/02

パクリ論争

オイラが締め切りにひーひーいってる間に、「スラムダンクの絵をパクッて回収絶版」という大事件が起きていましたが、とーぜんそれについて書いている余裕などなく。

で、終わって余裕が出来たときには、もう旬を過ぎてしまってるので、どうしようかなーと思ったのですが、一応漫画家の端くれとして私見を。

と言っても、きっと真面目な論争は出尽くしちゃってるので、ちょっと違った視点から。

竹熊さんの所でいくつか知ったことがあって、それで自分のもやもやした気持ちが氷解しました。なんかしっくり来ないものがあったんだけど、それがクリアに。

著作権侵害って親告罪なんだね。

親告罪というのは、被害届けがないと警察が動かない類の犯罪のことだそうです。被害者本人が告訴して、初めて罪が問われるもの。被害者の人が、事を大袈裟にしたくない場合があることを考慮して。

つまりこの場合、あの漫画家さんは凄い勢いで断罪されちゃったけど、肝心の被害者、井上先生がどう思ってたかが分からない。

井上先生が実はこっそり不愉快に思っている、という情報を察知して、講談社があの行動なら分かるけど、逆に全然意に介してない場合も考えられるわけで。その場合、これ当事者不在になっちゃう。

世の中にパクリ論争はたくさんあるわけですが、なんとなく不安な感じがしていたのはこれが原因だ。著作権法の精神からすでに逸脱気味だからだ。

よく感じることなんですが。やっぱり読み手と作り手じゃ、感じ方違う部分ってあるんですよね。読み手にとっては目の前にある物が作品なんですが、作り手にとってはそれは氷山の一角、作品の表面で、その後ろに色々な物が詰まってる。

打ち合わせの時に、そこの部分が伝わらなくて苦労したりするんですよ。まあでも、自分が読み手に回った時に、そこまで全部目の前の作品から読み取れるかってーと、やっぱりムリなので。

だから、こういう論争の時、一部分の類似が物凄くクローズアップされているように見えて、怖いのです。多分、元の作品の愛読者で、パクリだ! と怒ってる人にとっては、作品のかなりの面積を汚された気分なんだと思うのですが。

作者にとって創作というのは、もっと色々な物が詰まっていて、しかもそれが人によって様々だったりするので、本人意外にそれぐらいの端っこの部分が汚れても気にならない、というケースもあり。それより守って欲しいのはこっちの部分だよ、という事もあったり。

なのにこのままの流れが加速して行ったら。親告罪は前述の通り、被害者が事を大袈裟にしたくない場合、大袈裟にすると、むしろ被害者の不利益になる場合を考慮してのことなのに。著作権法が著作者を守ってくれなくなっちゃう。

あんまり行き過ぎないで欲しいですね。

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