認知の狭間で
物を描こうとする事は、世界をどう捉えているかを問われているということでもあるわけで。
この場合の世界というのは、日本に対して世界、という意味じゃなくて、自分の外界という意味で。環境とか、他人とか、世間とか、身の回りから遠くまで。どう見えているか、どう感じているかが、描く物、描き方にも影響する。
それが歪んじゃっていたら、怖いよなあという話。
例えば、サッカーで話をすると。僕もちょこっとかじった中で、すごいプレーヤーに何人かあってます。県の選抜に呼ばれた人、プロのユースでやった人、高校選手権に出た人。当然僕より全然レベル上です。間近で見ると、すごいなあと感心することしきり。
ところがこの人たちよりレベル上の人を、すごく馬鹿にしてしゃべっている時がある。プロの控えのクラスの人。あいつ使えないよなあ、とか。そういう時、心の中に、その人に対するリスペクトの念がちゃんとあるかと言われれば、正直あんまりない。
認知の逆転現象が起きてしまっている。世界観が歪んでしまっているのです。テレビの画面で見た物が、現実の感覚とリンクできていないからです。
もたもたしてるなあ、と見えている人のスピードは、実は自分の実際知っているスピードよりずっと速い。さらにプロでも速く見える人に至っては。目の前から消えて見えるかもしれない。
自分は今サッカー漫画を描いていて、そこが歪んでいたら大ピンチ。「より凄い物」をちゃんと表現しないと駄目だから。
例えば野球漫画だと、簡単に150キロのボールが出てきちゃったりするでしょう? 「150キロだ」とセリフで書けば、そういうことになるから。でもほんとの150キロのボールの凄さを表現しないと、それを主人公が打ち返しても、まあそんなもんか、で終わっちゃう。
バッティングセンターで130キロにトライしたら、ボールが浮き上がって見えましたからね。ほんとの150キロのボールなんて、どんなことになってるのやら。
自分がマスメディアを通して知っていると思っていることが、実は全然分かっていない。そんなこともあるわけで。そうして物の実像を正しく評価できないことによって、実は裸の王様になっていることもあるかもしれない。プロの下のレベルはアマチュアでは神様。そんなことすら簡単に頭から抜け落ちるぐらいだから。
一度フィールドの中で実感してみたいなあ。本気のプロのレベル。玉ちゃんの動きをオイラは目でちゃんと追えるのか、土屋選手と競った時、オイラは生きて帰ってこれるのか?
きっと凄いと思うんだ。
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