打ち切り異聞 その2
すいません、続きました。書いてたら物凄く長くなってしまったので。それだけ重要なテーマだということでご容赦ください。
さて、今度は送り手の話。打ち切りが常態化していることによって、どういう影響が編集部に起きていると思われるかについて。
安易に最終カードを切っちゃって、それが当たり前になってるので、責任の所在があいまいになってる。特に10週切れみたいな新連載。はっきり言って、2ページ見た瞬間に絶対終わる、というような作品が載ってる。これは確かに作家がヘボだからなんだけど、それを見抜けず、載っけちゃった人の責任は?
なんか、全部漫画家に責任転嫁されているような気がするのは、僕が漫画家だからですか?
漫画制作において、特に新人に対しては、編集さんはかなりの影響力を持っています。担当編集が首を縦に振らない限り、企画会議にも出してもらえない。だからここの人はかなりの目利きじゃないと困るんですが。
でも、どうもその部分が上手くいってない感じ。原因は打ち切りに対する姿勢だと思うのです。
打ち切りが上手く作用していた時期もあるのです。打ち切りといえばジャンプが有名だから、ジャンプで例えると。昔は同じ一目見ただけで、という作品でも、腕よりもネタが、というパターンがあった。明らかに一発ネタで、凄いギャンブルしましたね、という意欲作。
これは当然なかなか当たらなくても、雑誌全体に謎のパワーを生み出す効果があったと思います。たまーに大ヒットになる時あるしね。「駄目なら打ち切ればいいか!」で思い切りよく大らかに。「筋肉マン」なんかはそういう大らかさが生んだメガヒット。
でも今は打ち切りを回避しようとして、発想が物凄く縮こまっている。受けを意識してガッチガチ。盆栽みたいに漫画を剪定。そうしたほうが面白くなると思ってるからやってるんでしょうけど、でも。
剪定するなら、もっと細かいところに神経使うべきだと思うんですが。で、前述の速攻打ち切りみたいな剪定大失敗の時、責任は問わないの? という話になるのです。同じ失敗繰り返している。目利きのレベル上げてくれないと、安心して身を委ねられない。
まあ、基本的に、剪定される時点でイヤダ! というのが本音ですが(笑)。枝切られたら痛いじゃん? そんな漫画家の本音は、また明日。
(まだ続く!)
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